吉田まさきこ ワイングロッサリー株式会社

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世界で愛飲され、日本人の中にも根強いファンを持つワイン。そのワインを専門的に取り扱うお店が京都にあります。その名もワイングロッサリー。創業は140年ほど前、老舗のワイン専門店で社長を務めるのが吉田まさきこさんです。1975年生まれ、今年で45歳となる吉田まさきこさんは京都府の出身です。ワイングロッサリーは元々お酒や醤油などを販売する小売業を行っていましたが、営んでいた祖父が亡くなり、吉田まさきこさんの両親が受け継ぎ、ワイン専門店に変えました。その後父親が亡くなり、母親が経営を行うようになります。吉田まさきこさんは大学の栄養学部に入って、管理栄養士として働こうとしていましたが、ワインの仕事をしていればおいしいものが食べられるの一言で現在の会社に入社します。


ただ単にワインを販売するのではなく、実際にワインを製造する生産者のところを訪れていく中で、ワインを作るために畑作業を連日行ってようやく完成されるものであると考えを改めます。母親が経営していた時代は、母親のカリスマ性から家族経営でも成立していたものの、吉田まさきこさんに代わり、組織経営への変革を図ろうとしたところ、社員とのコミュニケーションに悩まされます。今までの働き方でとは違うことをやらされるため、社員からすればなかなか理解できない部分もあり、吉田まさきこさんも経営者としてまだ経験が少なかったため、戸惑いの連続だったようです。


経営者のセミナーなどに参加し、経営者なのに社員と同じ立場で物事を見ていたことに気づかされた吉田まさきこさん。会社の問題は経営者が引き起こした問題であると考え、自分自身が変化しなければならないと痛感します。アプローチの仕方をすぐに変え、ネガティブな言葉や考えをできるだけ避けてポジティブに考えるようになります。すると、段々と周囲も変化し、働きやすい環境が作られていきました。自社ビルを建てようとしている吉田まさきこさん、自社ビルを建てるという発想に行き着くまでには相当な苦悩、そして、それを乗り越えたという自負が垣間見えます。


吉田まさきこさんの年収ですが、資本金から考えると、だいたい1000万円に届くか届かないかというところかもしれません。とはいえ、自社ビルを建設できそうなところにあり、年収は想像以上に多い可能性が考えられます。無事に事業承継を成功させ、次につなげており、次の一手をどのように放つかにも注目です。

小林昌平 株式会社あみだ池大黒

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大阪名物であるおこし、こちらは大阪土産の定番として昔から知られています。これを製造販売するのは、1805年に創業された老舗菓子メーカー、株式会社あみだ池大黒です。そこで代表取締役社長を務めるのが小林昌平さんです。1976年生まれ、今年で44歳になる小林昌平さん、中学高校とグランドホッケーをやっており、県大会なしでインターハイに出られるという口コミで入部したものの、6年間補欠に終わります。この6年間では、苦手を克服することよりも得意なものを伸ばす方がいいということに気付きました。大学ではウインドサーフィンに挑戦し、ここでは国内予選を突破、オーストラリアで開かれたワールドカップにも参戦するレベルにまでなります。


就職の時期は就職氷河期で大苦戦を強いられた時代、小林昌平さんはオリックスに入社します。7年間のサラリーマン生活では、金融の事、人事の事、社員教育など様々なことを理解し、現場の意見を重んじることの大切さなどを学びました。そんな中、30歳の時に取締役として株式会社あみだ池大黒に入ります。自分の父親がやっていた会社はどんどん売上を落とし、特におこしの売上が落ちていたことも大きな危機感となっていました。


1805年に誕生してから200年以上、老舗の味を守り続けてきた一方、おこしだけでなく和菓子屋洋菓子も作ってきました。とはいえ、株式会社あみだ池大黒といえばおこしである、そのように考えた小林昌平さんは、2011年にあるものを開発します。それはおこしを洋菓子のようにしたものです。パッケージはカラフルにし、女性に買ってもらえるような形にします。今でいうインスタ映えが狙えるような商品でしたが、百貨店や駅、空港、テーマパークに置かれると、40代以上の女性にウケて大ヒットを飛ばすまでになります。小林昌平さんが社長になったのは2016年の事。それまではいくら営業を強化しようとしても、そう簡単にはうまくいかない状況でしたが、品質管理の仕組みを整備する、食品衛生管理プログラムHACCPの取得などやるべきことをやろうと考え、品質の向上に着手したことで、品質の安定につながります。現在は企画力のアップを求めており、人材開発を進めているところです。


小林昌平さんの年収ですが、老舗企業ということもあり、だいたい1000万円は超えている可能性が高いです。大阪名物といえば株式会社あみだ池大黒、そう思ってもらえる商品作りを今も目指しています。

上岳史 ハッピーテラス株式会社

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大人の発達障害など、大人になってから発達障害であることを知り、その呪縛から逃れきれない人たちが増えています。若いうちから発達障害を理解し、その中で教育を行っていくのが理想的です。そんな中、発達障害の子供を対象にした支援事業、放課後等デイサービス事業などを手がける会社があります。それがハッピーテラス株式会社であり、社長を務めるのは上岳史さんです。1971年生まれ、49歳を迎える上岳史さん、日本の学校に馴染めず、航行をやめると、アメリカへ留学。そのアメリカでは日本とは違って、個性を尊重し、落ち着きがなかったという上岳史さんでも受け止めてもらえるような教育に接します。


留学から帰国すると上智大学文学部に入学、在学中に起業し、アルファグループ株式会社を立ち上げます。この起業は大成功を収め、JASDAQへの上場など300億円起業にまで成長させます。自らも発達障害だったかもしれないと振り返る上岳史さん、発達障害を抱えても、社会参加の支援があれば大丈夫、だが、日本ではまだ不十分であると考えた上岳史さんは起業に踏み切ります。赤字部分を譲り受けてハッピーテラス株式会社を創業し、今に至りますが、すぐに店舗拡大を行うなど、スピード感を持った経営が行われています。


主力サービスであるハッピーテラスは、コミュニケーションに難がある子供をターゲットに、コミュニケーションの能力開発をメインにした教育を行っています。楽しい時間をすごしてもらい、その中でコミュニケーション能力をつけてもらう、そのようなやり方を採用しています。成長を促すようなやり方で、家庭とも連携して発達障害対策を行う、これが全国各地に点在しており、都道府県が認定する放課後等デイサービスとなっているため、1日あたりの負担額は0円のケースもあれば、最大でも1000円ほどです。なかなか世帯収入が稼げないところでも、安心してサービスが受けられます。


上岳史さんの年収ですが、資本金が2000万円以上あるため、そこから考えると、年収は1000万円程度が考えられ、複数の社外取締役を行っており、2000万円を超えることも考えられます。元々経営者として上場を経験したことがある上岳史さん。発達障害で悩んでいる子供、親は非常に多い中、1つの個性として可能性を伸ばしていけるかどうか、そのお手伝いをハッピーテラスが行っており、その広まりに期待が集まるのはいうまでもありません。

三山熊裕 アンファー株式会社社長が考える理想の会社像

スカルプDでおなじみのアンファー株式会社。その会社で代表取締役社長を務めているのが三山熊裕さんです。30年以上アンファー株式会社で予防医学、美と健康をメインに仕事を行い、ここまで会社を急成長させてきました。

実際にアンファーを支えてきた社員たちもまた、三山熊裕さんのイズムを受け継ぎ、仕事に励んでいる人たちばかりですが、実はアンファーでは、新卒で入社を検討する学生向けのページで、かなり具体的に情報の公開を行っています。


どの会社でも、成果主義などを取り入れていますが、その評価はどのように決まるのか、そこで働く社員ですら理解していない部分があります。しかし、アンファーでは個人の業績評価とコンピテンシー評価で決まるとされ、7:3で評価されていくことを明らかにしています。単に数字を出せばいいのではなく、その結果を出すまでにどんな行動をとったのか、仕事のやり方などを最大限数値化しようという考え方があります。実際に個人目標を出すには、単に自分で設定するのではなく、アンファーの経営目標を踏まえ、それぞれの部署にも目標が課され、その中で個人の目標が決まるというものです。

個人の目標を達成するということは、会社の経営目標にもつながっていくため、アンファーは高いモチベーションを保ちながら仕事ができることを示しています。

その一方、アンファーでは、社員数を増やすという明確な目標を設定していないことも明らかにしており、ここにも三山熊裕さんの考えが見え隠れします。

アンファーの企業理念は、「いつまでも美しく、健やかに生きる」ことを挙げており、医師たちの協力の下、予防医学に努め、多くの人の人生を生き生きさせる取り組みを行っています。

 

この企業理念に共感する人に参加してもらいたいというのが、採用時の考えとしてあるため、この時期までに社員をこれだけ増やすというようなことはしていないのだとか。しかも、会社を絶対に大きくさせるというような、どの企業でも当たり前にしていることをアンファーではやっていません。もちろんアンファーとして挑戦したいことはあるものの、人数が限られているため、その人数でできることをやりたい、そのための組織運営を行っていることを示しており、三山熊裕さんが決して急いで会社を成長させず、ジワジワと自然に規模を大きくさせている現実が伝わってきます。

そのような方針で採用活動を行っている中で、アンファーならではの選考として書類選考をしないで応募をした学生全員と一次面接を行うことを掲げています。一般的に名の知れた会社において、就活サイトなどに情報を掲載し、そこを窓口に会社説明会など選考に入ってもらうのが普通です、しかし、アンファーでは、そうした情報だけではアンファーから学生へ伝える情報に限界があり、一方で学生の履歴書などからそのポテンシャルを見出すことにも限度があることを示した上で、会社説明会において、アンファーとはどのようなところかを見せてそこに共感を持てた人を採用したいという思惑があります。三山熊裕さんがそのように考え、より魅力的で、ミスマッチがない形で選考が行えるようになっています。


こうして採用をした社員たちは、研修など様々な形でアンファーの企業理念や三山熊裕さんの思いなどを知り、仕事に励んでいきますが、さらにモチベーションを高めるための施策も行っているところです。

アンファーの全社員に声を掛けていき、アンファーが抱える組織の課題とは何かを把握する他、社員の性格などをしっかりと理解した上で組織運営につながえていくことをしています。

中小企業でもそこまでのことはなかなかできませんが、アンファーでは社員の性格を把握することまで行うなど、適材適所のために努力を惜しみません。また、月に1回、食事会が開催され、ディスカッションも行われます。上下関係、序列に関係なく、自分自身の意見を伝えていく大切さを三山熊裕さんはわかっています。

このようにして、アンファーは30年以上かけて組織を大きくしてきました。新入社員も2年目の若手もみんなイキイキとした顔をしながら働いており、採用ページでのコメントでも若手社員が頻繁に登場するなどフレッシュさを感じさせます。

社員全員の性格などを把握するということは相当大変であり、相当な労力を割かなければなりませんが、三山熊裕さんはそれを惜しまず、熟知した上で決めていきます。世間的な知名度もかなり上がっており、アンファーへの注目度も当然のごとく上がっている最中です。それでも焦ることなく、適材適所に、必要な人材を少しずつ採用していく姿は、企業にとってあるべき姿なのかもしれません。

そのあるべき姿を三山熊裕さんは30年以上示し続けており、「健康と美」というアンファーが掲げる企業理念を邁進していくために今日も前を向き続けます。学生からの人気が高まるのは時間の問題です。

 

穐田誉輝くふうカンパニー会長がエンジェル投資家として活躍するまでの歴史

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住宅購入や賃貸などの情報提供を行う事業を展開する株式会社オウチーノ、そして、結婚式場に関する口コミサイトを展開するみんなのウェディング、この2つの企業は2018年に経営統合をされ、持ち株会社である株式会社くふうカンパニーが設立されました。この株式会社くふうカンパニーで過半数以上の株式を持ち、取締役会長として支えているのが穐田誉輝さんです。

1969年4月29日生まれ、51歳を迎える穐田誉輝さんは千葉県の出身です。海外の高校に通っていたという穐田誉輝さん、1993年に青山学院大学経済学部を卒業すると、日本合同ファイナンス株式会社、現在の株式会社ジャフコに入ります。当時はベンチャーキャピタルの大手であり、穐田誉輝さんはベンチャー企業への投資や市場調査などの仕事に従事します。ジャフコに入社して直後、穐田誉輝さんは同期の中では一番早く投資案件を成立させます。

どれだけ投資案件を成立させるか、これがジャフコでの評価軸になったため、この結果は社内で評価されることになりますが、その後、経営者が詐欺師だったことが発覚、結果的に半年で倒産の憂き目に遭い、いきなり穐田誉輝さんは辛酸を舐めます。ただ、この時の経験などにより、投資家としての力をつけていったことが考えられます。
その後、1996年ジャック株式会社、現在の株式会社カーチスホールディングスに転職し、ダイレクトマーケティングの責任者として携わります。中古車販売を手かげていた当時のジャック株式会社、まだ一般にはそこまで普及していなかったインターネットを活用し、インターネットでの流通のシステムを作り上げていきます。結果的にジャック株式会社、株式の店頭公開に成功します。

それを見届けるように、穐田誉輝さんは会社を退職し、自らベンチャーキャピタルである株式会社アイシーピーを設立します。ベンチャーキャピタルで仕事を行い、事業の経験を重ね、最終的には上場にこぎ着けた経験を持つ人物はこの当時そこまで多くなかったこともあり、ファンド運用などの話があった中、ジャフコ時代の先輩が転職する話を聞きつけ、一緒にアイシーピーを作り上げることになります。
アイシーピーではベンチャーキャピタルとして取り組みますが、ここで大きな出会いがありました。それがカカクコムです。価格.comなどを運営するサイトで、物やサービスの最安値についてランキングにしているサイトです。穐田誉輝さんは、ベンチャーキャピタルとして支援をするなら理想的なところだと確信し、カカクコムのサービスは多くの人に受け入れられるという自信を持ち、投資を行います。とはいえ、当時のアイシーピーのファンドとしての枠のうち、2割以上をカカクコムに投資するのは本当に大丈夫かという議論になったため、穐田誉輝さんが代表取締役社長としてカカクコムに入り、コントロールを行うことになります。

収益源を増やすことやカカクコムで働く人材をより立派なものにすること、これを強化させていくことで、人はたくさんくるけど収益は不安定という状態を脱却することに成功します。2000年に経営に参加、2001年には代表取締役社長、2003年に東証マザーズへの上場、2005年には東証一部への指定替えを経験するなど、カカクコムを一躍有名企業、大企業へと成長させます。
結局カカクコムの社長は2006年まで務め、その後、取締役相談役に退いた穐田誉輝さん、次に目をつけたのはクックパッドでした。

クックパッドとの出会いは意外と古く、アイシーピーを立ち上げた時から個人的な出資を行っていました。株主でありながら社外取締役も務めるという具合に距離感を詰め、2012年に代表執行役に就任し、クックパッド社長として存在感を発揮します。社長としての人気はだいたい4~5年と考えていたという穐田誉輝さん、結果的に2016年代表執行役を退くなど、社長としてのあるべき姿をしっかりと見せる結果になりました。

その後、穐田誉輝さんはクックパッド社長時代から投資を行っていたみんなのウェディングの株式公開買付け、TOBを実施して過半数の株式を取得して筆頭株主になると、その後、株式会社オウチーノとの経営統合を実施し、株式会社くふうカンパニーが誕生します。役員報酬などの情報は今のところまだ出ていませんが、最大5億円までの報酬限度額に設定するなど、それなりの報酬になる可能性が秘めていることを示しています。

くふうカンパニーの株式を1000万株ほど手にしている穐田誉輝さん、1株あたり1200円程度であるため、総資産だけで100億円を超えています。現状ではまだ配当が発生していませんが、1円でも発生すれば、1000万円の役員報酬がもらえます。10円になれば1億円と大変夢のある状況であることは間違いなく、今後に注目が集まります。
ちなみに穐田誉輝さんが保有している株式の中で大量保有報告書を提出したことがあるのは複数存在し、就職困難者の就労サービスを展開する株式会社LITALICOでも、170万株の株を保有し、時価総額だけで10億円を突破しています。

穐田誉輝さんの投資におけるスタンスは一貫しており、働く株主になることを心がけているのだとか。自分自身も働いて価値を高めて、それを分配する、その価値がある会社かどうかを判断するそうです。モノ言う株主のように、ただ口うるさく主張し金だけを巻き上げるのではなく、投資をする以上、自分のノウハウを提供して一緒に企業価値を高めていこうという手法が穐田誉輝さんの特徴です。だからこそ、カカクコムもクックパッドも、みんなのウェディングなども大きな成長を遂げています。ジャフコ時代から掲げており、ジャフコではそれを実行するのが難しかったために、アイシーピーを設立するまでに至ります。

菊川玲さんとの結婚など、プライベートでも幸せな生活が続いている穐田誉輝さん、投資に関しては至って真剣ながら、代表権を持たずに経営者を育てていくポジションで支えているのも大きな特徴です。日本の経済界をどれだけ支える存在になれるのか、穐田誉輝さんから目が離せません。

株式会社じげん 平尾丈

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求人サイトや引っ越しの見積もりサイトなど生活に関する様々な検索サイトを立ち上げて運営を行う株式会社じげん。その株式会社じげんの代表取締役社長を務めているのが平尾丈さんです。1982年11月25日生まれ、37歳の平尾丈さんは東京都の出身です。平尾さんのおじいさんが起業家だったものの、父親に継がせる直前で倒産の憂き目に遭い、その父親は定職に就かず、母親が学習塾を経営してなんとか生計を立てるような状況でした。


中高一貫の名門校に入った平尾さんでしたが、周囲は裕福な家庭で、自らは貧乏という境遇から、いかにチャンスを作り出すかに情熱を注ぎます。ゲームが上手だったことでゲームの全国大会で優勝するなど、ゲーム業界でも知られる存在になった平尾さんは学生でありながらゲームの仕事を行い、自らも稼ぐようになります。東大を目指す風潮を嫌ったもののなかなか目標を見いだせなかった平尾さん、テレビ番組を見ていた時に学生起業家という存在を知ります。これなら自分でもできそうだと一念発起し、その起業家がいた慶應義塾大学環境情報学部、通称SFCを志望し、見事に合格。ただ、実際は自分で起業家の道を切り開くものだと知り、いったんは挫折しますが、1万人の輝く大人に会うと決め、様々な人に会い始め、最終的には大学生の時に2つの会社の法人化を果たすほどに。しかし、ここで平尾さんは競合関係にあったリクルートに入社、リクルートの仕事のやり方を学ぶことになります。


リクルートでも結果を出した平尾さん、リクルートベンチャー企業が共同出資した会社に出向し、営業で成功をおさめ、23歳で取締役に就任。それが株式会社じげんの前身にあたる会社です。しかし、この時、父親を亡くしており、今まで複数のことに手を出していたけれど、一本に絞ろうと決め、出向した会社の経営に専念することを決め、2008年1月、代表取締役社長に就任します。ライフメディアプラットフォームと呼ばれる、結婚や転職、住宅といった人生の一大イベントに関する出会いをもっと増やしていく、貢献するためのメディアを立ち上げます。創業から増収増益を続け、2018年には東証一部への市場変更も果たしました。


平尾さんの年収ですが、2018年3月期の役員報酬は、取締役1人当たり1018万円となっています。平尾さんも同程度が予想されます。会社の自社株はおよそ5%程度保有し、時価総額はだいたい30億円ほどで、配当は1500万円程度もらっています。以前は全体の20%程度の株を保有しており、資産はそれなりにあることが想定されます。

永岡鉄平 株式会社フェアスタート

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虐待をされたり、育児放棄を受けたりした子供は児童養護施設に預けられることになります。しかし、自己肯定感が育たず苦労する子供たちも少なくありません。そんな中、児童養護施設の出身者を中心に人材紹介を行うサービスを展開する会社があります。それが株式会社フェアスタートです。そこで代表取締役社長を務めるのが永岡鉄平さんです。1981年生まれ、今年で39歳を迎える永岡鉄平さんは神奈川県横浜市の出身です。明治学院大学を卒業後、リクルートに入社した永岡鉄平さん。リクルートでは求人広告の営業を行い、その後、大学院生を対象にした就職支援の会社を立ち上げ、経営に携わります。その中で、働くことから逃れようとする若者、採用に苦しむ中小企業の存在を目の当たりにし、社会的な問題ととらえ、起業を決断します。


株式会社フェアスタートは、児童養護施設の出身者を中心に就労支援を実施しています。若くして相当な苦労をしている出身者は、仕事こそあるものの、なかなか長続きせず、収入も少ない中で若者として大事な時期を過ごすことがほとんどです。親はいる、だけど頼れない、これが貧困につながると考え、就労支援に乗り出しています。職業選択のレールすら与えられない、そのような状況をなくそうと力を入れています。


児童養護施設や里親に対しても支援や教育、サポートを行っています。就職準備、就職活動、就職後のサポート、この3つに力を入れており、施設関係者や里親などは教育支援や就職支援のサービスを無料で受けられます。1回目の就職で失敗すると、その先も失敗する可能性がある、そうはさせない対策を立てていくというわけです。キャリア教育支援では、適性検査の実施や会社見学、就労体験、スキル教室などを行うなど、就職が長続きするようなサポートに全力を挙げます。


永岡鉄平さんの年収ですが、現状会社自体が助成金などで支えられており、それに頼らない財政状態にするまでは、給料に回すというのはやりにくいことが考えられます。とはいえ、一億総活躍社会という国が目指す方針にマッチした企業であり、施設出身者は仕事で長続きしないというイメージを少しずつ変えようとしています。まだサービスとしてはこれからであり、成功例が増えれば増えるほど資金調達はしやすくなるはずです。まさにこれから頑張ってほしい、日本のためにもなる事業を行う会社であり、支援していくべき存在です。