伊藤海 ムゲン・サービス株式会社

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ゴミを少なくするという動きは昔から根強くありますが、事業者から出る廃棄物で実際にゴミの仕分けを行って少なくするということがあまり行われていない現実があります。廃棄物処理を行い、資源を枯渇させないようにする、そんな社会を目指す会社があり、その名もムゲン・サービス株式会社。代表取締役社長を務めるのは伊藤海さんです。1979年生まれ、今年で41歳の伊藤海さんは千葉県の出身です。明治大学を卒業後、人材派遣企業に入社した伊藤海さん。ベンチャー企業だった会社の成長と同じように伊藤海さんも成長を見せ、まだ25歳の年齢で多くの拠点を統括する存在となります。これで自信をつけると、元々関心のあった環境問題に取り組もうと決意、会社を立ち上げます。


廃棄物を回収するというのが大きな特徴で、一般廃棄物、産業廃棄物のいずれも回収します。伊藤海さんの会社が取り組んでいるのは資源の枯渇を防ぐということ。ゴミを回収して仕分けを行うことで資源の無駄遣いを防げます。そのためには仕分けを徹底しており、資源が枯渇しないよう、運営が行われています。この仕分けをすればいいという発想は、昔のゴミに対するイメージがあったためです。現在も海にゴミを埋めて最終処分とするケースですが、以前は燃えるゴミか燃えないゴミかしかなかったため、埋め立てのスペースはどんどん埋まっていきました。これが年々ペースが落ち、満杯になるのに相当な時間がかかるようになります。これこそ仕分けをしているためであり、これも大きなポイントです。


意外にも環境に優しい捨て方を徹底すると利益がいいという効果もあるんだとか。単に捨てるのではなく、資源に置き換えることでお金につながり、利益が出るという仕組みです。お金をかけてゴミを捨てるのではなく、資源にしてお金を得る、これだけでも大きな違いです。今後の目標はアジアでゴミの問題を少なくしていくこと。もしゴミが資源になれば、単に埋め立てたり捨てたりする状況にならないからです。ゴミが多くあるところで子供たちがお金になりそうなものを探す、世界にはそんな状況がありますが、それを少なくできるかもしれません。


伊藤海さんの年収ですが、1000万円を超えている可能性は高そうです。廃棄物回収業は評判があまりよくないことが多いですが、Googleの評価ではほぼ星5つになっているなど、評判は上場です。廃棄物回収業の中でも優良企業であることは確かでしょう。

岡本祥治 株式会社みらいワークス

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プロの人材が企業内で不足することは避けなければなりませんが、その際にすぐにでも補充できるように、業務委託という形でフリーランスの人材を提供するサービス、FreeConsultant.jpがあります。そのサービスを運用する株式会社みらいワークスの社長が岡本祥治さんです。1976年8月28日生まれ、44歳を迎える岡本祥治さんは神奈川県の出身です。学生時代はバレーボールに打ち込んでいた岡本祥治さん、この時はまだ起業をするとは考えておらず、人を救う仕事がしたいと医師を目指していたことも。その後、モノづくりに携わる仕事を目指して慶應義塾大学理工学部に入学、卒業すると、アクセンチュア株式会社に入社し、ITコンサルタントとして活躍します。


アクセンチュアを辞めた後はベンチャー企業で新規事業の立ち上げなどを行い、その後すべての都道府県を巡って、地方が衰退していく様子に、日本を元気にさせたいと奮起、実現させるための手を打っていき、株式会社みらいワークスの起業までたどり着きます。実際にフリーランサーとして仕事をしている時、仕事を撮ってくることなどで苦戦を強いられることがあり、それを他のフリーランサーも経験していたことを知ります。個人のフリーランサーと企業をつなげられればいいのではないか、そのように考え、FreeConsultant.jpが登場します。


クライアントの多くは上場企業などで、実際にサービスに登録するユーザーは数千人規模です。即戦力として人材を活用したいと考えているクライアントが多く、そのほとんどはIT関係の仕事です。フリーランサーとして働きたい人が増えた今、FreeConsultant.jpのサービスの登場は非常に大きく、働き方改革に大きく寄与することは間違いありません。人材不足を解消させ、働き場所を確保する、まさに人を救う仕事といえるでしょう。


岡本祥治さんの年収ですが、2018年9月期の取締役1人あたりの役員報酬はおよそ660万円です。社長であることを考えても1000万円には届かない可能性も考えられます。過半数以上の株を保有している岡本祥治さん、時価総額はおよそ20億円弱です。配当こそありませんが、資産的にはそれなりのものを確保しています。フリーランサーへの実質減税のような税制改正が行われるなど、フリーランスとして働きたい人は増えることが予想され、今後に注目です。

ピップ株式会社 松浦由治の経歴、資産、年収すべて公開致します!

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ピップエレキバンを始め、誰もが知るユニークなCMを数多く世に送り出したことでも有名なピップ株式会社。そのピップ株式会社で代表取締役社長を務めるのが松浦由治さんです。1958年4月3日生まれ、62歳を迎える松浦由治さんは東京都の出身です。大学時代はアイスホッケーを行っていた松浦さん、実家は会社経営を行っており、早稲田大学卒業後、将来的に継ぐことを前提に、いわゆる修業という形で医薬品の卸を行う会社に就職します。4年務めたのち、ピップ株式会社の前身となる会社に入社。しかし、時を同じくして、父親が勝手にP&Gのプログラムに応募し、松浦さんは3年以上アメリカでビジネスについて学びます。


昭和63年にピップトウキョウ株式会社に入社、その後数か月で取締役に就任、平成10年には常務、12年には専務、そして、2005年にはピップトウキョウ株式会社の代表取締役社長になります。その後、合併が行われ現在のピップ株式会社が誕生すると、代表取締役副社長となり、2018年代表取締役社長になりました。創業から110年、日本を代表する老舗企業であるピップ株式会社ですが、社長になった松浦さんが考えたのは、現状が第四創業期であること。消費者視点でマーケティングを考えていく事に力を入れており、松浦さんが社長に就任後、ピップでは初めてマーケティングの責任者を外部から招き入れるなど、マーケティングに力を入れるようになりました。同時に、ピップはなぜ創業されたのか、経営理念とは何かを改めて周知徹底し、新たなピップの歴史を歩もうとしています。


ピップ株式会社は非上場企業のため、役員報酬がいくらかなどは定かではありませんが、平均年収がだいたい400万円から500万円となっており、社長としての報酬は2000万円程度もらっている可能性があります。父親の会社の資産をどれだけ引き継いだかによって資産も大きく変わることが考えられます。いずれにしても、余裕のある状況であることは確かです。


創業100年を超える企業は非常に少なく、ここまで会社を存続すること自体すごいことです。そんな中、松浦さんは新たな創業期と考え、さらに存続させていくための手を打っています。老舗企業だからとあぐらをかくことは決してなく、さらに繁栄をさせていくための一手を放つ、松浦さんの挑戦はここから本格的にスタートとなり、今後の動きに注目が集まります。

青木俊介 ユカイ工学株式会社

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クッションタイプのセラピーロボットやあいさつや一発ギャグが言えるロボットなど、グッドデザイン賞を何度も獲得する、ユニークなモノを作ってきたユカイ工学株式会社。そこで代表取締役社長を務めるのが青木俊介さんです。1978年生まれ、今年で42歳となる青木俊介さんは神奈川県の出身です。父親はエンジニア、母親は理科の教師だったという理系の両親の下で生まれた青木俊介さん。ガンダムはデザインが悪いから見るなと言われ、となりのトトロなどを見るよう勧められたり、ピンクの服を着させられたりと当時としては異端な教育を受けます。


中学時代になるとプログラミングに目覚め、ターミネーター2に出てきたAIの開発にカッコよさを感じます。当時高かったパソコンを青木俊介さんはなんとか説得して両親に買わせ、プログラミングに興じるようになります。とはいえ、今と違ってパソコンに触れる人はオタク扱いを受けた時代、友達にはひた隠しにするなど、学生時代は悶々とした環境下で過ごしたのだとか。東京大学に進学すると、当時話題を集めたインターネットに明け暮れ、大学2年生の頃に株式会社チームラボを立ち上げます。今であれば当たり前のようなサービスを作るも、あまりにも最先端をいきすぎたために失敗に終わりますが、なんとか受託開発で利益を生み出していき、技術開発にお金を回していきます。


ユニークなサービスを生み出すも、ロボット制作が熱気を帯びてきたことを受け、そちらがやりたくなり、チームラボを去り、ユカイ工学を立ち上げます。まずは中国に行きAIを学ぶと、中国と日本を拠点にしてロボット作りに励みます。そして、2011年、ユカイ工学を株式会社化し、ロボット開発に専念。ベンチャー企業が消費者向けのロボットを作るのはハードルが高いと言われながらも作り続けた結果、コミュニケーションロボのBOCCOが誕生します。こうしたロボットの代表例はPepperですが、可愛らしいロボットを生み出すなど、幼い時に受けた教育がいい具合に製品に反映されるなど、新たな時代を切り開こうとしています。


青木俊介さんの年収ですが、今のところは上場などもしていないため、役員報酬が定かではないものの、1000万円程度もらっていても不思議ではない活躍を見せています。可愛らしく癒しを与えるロボットが段々と人気を集める今、新たな需要、供給を目指し、画期的な商品が出ることが期待されます。

吉田まさきこ ワイングロッサリー株式会社

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世界で愛飲され、日本人の中にも根強いファンを持つワイン。そのワインを専門的に取り扱うお店が京都にあります。その名もワイングロッサリー。創業は140年ほど前、老舗のワイン専門店で社長を務めるのが吉田まさきこさんです。1975年生まれ、今年で45歳となる吉田まさきこさんは京都府の出身です。ワイングロッサリーは元々お酒や醤油などを販売する小売業を行っていましたが、営んでいた祖父が亡くなり、吉田まさきこさんの両親が受け継ぎ、ワイン専門店に変えました。その後父親が亡くなり、母親が経営を行うようになります。吉田まさきこさんは大学の栄養学部に入って、管理栄養士として働こうとしていましたが、ワインの仕事をしていればおいしいものが食べられるの一言で現在の会社に入社します。


ただ単にワインを販売するのではなく、実際にワインを製造する生産者のところを訪れていく中で、ワインを作るために畑作業を連日行ってようやく完成されるものであると考えを改めます。母親が経営していた時代は、母親のカリスマ性から家族経営でも成立していたものの、吉田まさきこさんに代わり、組織経営への変革を図ろうとしたところ、社員とのコミュニケーションに悩まされます。今までの働き方でとは違うことをやらされるため、社員からすればなかなか理解できない部分もあり、吉田まさきこさんも経営者としてまだ経験が少なかったため、戸惑いの連続だったようです。


経営者のセミナーなどに参加し、経営者なのに社員と同じ立場で物事を見ていたことに気づかされた吉田まさきこさん。会社の問題は経営者が引き起こした問題であると考え、自分自身が変化しなければならないと痛感します。アプローチの仕方をすぐに変え、ネガティブな言葉や考えをできるだけ避けてポジティブに考えるようになります。すると、段々と周囲も変化し、働きやすい環境が作られていきました。自社ビルを建てようとしている吉田まさきこさん、自社ビルを建てるという発想に行き着くまでには相当な苦悩、そして、それを乗り越えたという自負が垣間見えます。


吉田まさきこさんの年収ですが、資本金から考えると、だいたい1000万円に届くか届かないかというところかもしれません。とはいえ、自社ビルを建設できそうなところにあり、年収は想像以上に多い可能性が考えられます。無事に事業承継を成功させ、次につなげており、次の一手をどのように放つかにも注目です。

小林昌平 株式会社あみだ池大黒

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大阪名物であるおこし、こちらは大阪土産の定番として昔から知られています。これを製造販売するのは、1805年に創業された老舗菓子メーカー、株式会社あみだ池大黒です。そこで代表取締役社長を務めるのが小林昌平さんです。1976年生まれ、今年で44歳になる小林昌平さん、中学高校とグランドホッケーをやっており、県大会なしでインターハイに出られるという口コミで入部したものの、6年間補欠に終わります。この6年間では、苦手を克服することよりも得意なものを伸ばす方がいいということに気付きました。大学ではウインドサーフィンに挑戦し、ここでは国内予選を突破、オーストラリアで開かれたワールドカップにも参戦するレベルにまでなります。


就職の時期は就職氷河期で大苦戦を強いられた時代、小林昌平さんはオリックスに入社します。7年間のサラリーマン生活では、金融の事、人事の事、社員教育など様々なことを理解し、現場の意見を重んじることの大切さなどを学びました。そんな中、30歳の時に取締役として株式会社あみだ池大黒に入ります。自分の父親がやっていた会社はどんどん売上を落とし、特におこしの売上が落ちていたことも大きな危機感となっていました。


1805年に誕生してから200年以上、老舗の味を守り続けてきた一方、おこしだけでなく和菓子屋洋菓子も作ってきました。とはいえ、株式会社あみだ池大黒といえばおこしである、そのように考えた小林昌平さんは、2011年にあるものを開発します。それはおこしを洋菓子のようにしたものです。パッケージはカラフルにし、女性に買ってもらえるような形にします。今でいうインスタ映えが狙えるような商品でしたが、百貨店や駅、空港、テーマパークに置かれると、40代以上の女性にウケて大ヒットを飛ばすまでになります。小林昌平さんが社長になったのは2016年の事。それまではいくら営業を強化しようとしても、そう簡単にはうまくいかない状況でしたが、品質管理の仕組みを整備する、食品衛生管理プログラムHACCPの取得などやるべきことをやろうと考え、品質の向上に着手したことで、品質の安定につながります。現在は企画力のアップを求めており、人材開発を進めているところです。


小林昌平さんの年収ですが、老舗企業ということもあり、だいたい1000万円は超えている可能性が高いです。大阪名物といえば株式会社あみだ池大黒、そう思ってもらえる商品作りを今も目指しています。

上岳史 ハッピーテラス株式会社

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大人の発達障害など、大人になってから発達障害であることを知り、その呪縛から逃れきれない人たちが増えています。若いうちから発達障害を理解し、その中で教育を行っていくのが理想的です。そんな中、発達障害の子供を対象にした支援事業、放課後等デイサービス事業などを手がける会社があります。それがハッピーテラス株式会社であり、社長を務めるのは上岳史さんです。1971年生まれ、49歳を迎える上岳史さん、日本の学校に馴染めず、航行をやめると、アメリカへ留学。そのアメリカでは日本とは違って、個性を尊重し、落ち着きがなかったという上岳史さんでも受け止めてもらえるような教育に接します。


留学から帰国すると上智大学文学部に入学、在学中に起業し、アルファグループ株式会社を立ち上げます。この起業は大成功を収め、JASDAQへの上場など300億円起業にまで成長させます。自らも発達障害だったかもしれないと振り返る上岳史さん、発達障害を抱えても、社会参加の支援があれば大丈夫、だが、日本ではまだ不十分であると考えた上岳史さんは起業に踏み切ります。赤字部分を譲り受けてハッピーテラス株式会社を創業し、今に至りますが、すぐに店舗拡大を行うなど、スピード感を持った経営が行われています。


主力サービスであるハッピーテラスは、コミュニケーションに難がある子供をターゲットに、コミュニケーションの能力開発をメインにした教育を行っています。楽しい時間をすごしてもらい、その中でコミュニケーション能力をつけてもらう、そのようなやり方を採用しています。成長を促すようなやり方で、家庭とも連携して発達障害対策を行う、これが全国各地に点在しており、都道府県が認定する放課後等デイサービスとなっているため、1日あたりの負担額は0円のケースもあれば、最大でも1000円ほどです。なかなか世帯収入が稼げないところでも、安心してサービスが受けられます。


上岳史さんの年収ですが、資本金が2000万円以上あるため、そこから考えると、年収は1000万円程度が考えられ、複数の社外取締役を行っており、2000万円を超えることも考えられます。元々経営者として上場を経験したことがある上岳史さん。発達障害で悩んでいる子供、親は非常に多い中、1つの個性として可能性を伸ばしていけるかどうか、そのお手伝いをハッピーテラスが行っており、その広まりに期待が集まるのはいうまでもありません。