野中正人 株式会社しまむら 会長

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ファストファッション業界で店舗数は日本一、全国各地に存在し、ショッピングモールへの出店にも積極的な株式会社しまむら、2018年年末まで会長を務め、体調不良を理由に現在は退いている野中正人さんがこの路線を引っ張ってきました。

1960年7月22日生まれ、令和元年には59歳を迎える野中正人さんは群馬県の出身です。中央大学の法学部を卒業し、1988年に株式会社しまむらに入社します。当時のしまむらは埼玉県東松山市を中心に活動し、野中さんが入社する少し前に埼玉県大宮市、現在のさいたま市に本社を移転し、1988年には新商品センターや東証二部上場を果たす状況でした。この新商品センターはいわゆる物流体制の拠点となる場所であり、店舗を先に増やすのではなく、物流体制を整えるところから始めていました。

しまむらは1923年埼玉県の小川町で島村呉服店を創業したところから始まっており、島村恒俊さんが創業者です。野中さんが入社した時にはまだしまむらの社長を務め、陣頭指揮にあたっていました。後に野中さんの前任藤原秀次郎さんがこの路線を引き継ぎ、徹底的に合理化を進めます。例えば、すべての作業がマニュアル化しているのもしまむらならでは。これを読み込めばつい最近入った新卒社員でも店長の仕事ができ、その鮮度は常にアップデートされていることから新鮮そのもの。このようなシステムが出来上がっていく中で後に野中さんは社長と会長を歴任します。

野中さんは出世を続け、1998年には商品四部長に、1999年には経理部長を務めます。この当時のしまむらは別路線の店舗をいくつもオープンさせ、靴を売るお店、服飾雑貨の専門店、ベビー用品を扱うお店など増やし、野中さんは経営体力をチェックする部分からしまむらの躍進を見届けています。1990年代末期は競争が激化し始めた時で、既存のスーパーがしまむらに対抗しようとし、その結果、しまむらがあおりを受けます。その答えが既存のしまむらとの差別化、そしてショッピングモールへの参加でした。
同じファストファッションブランドで最大のライバルであるユニクロは、自社で商品を開発し、それを製造、販売するなど、一貫したシステムが安さの秘訣と言われています。しまむらにはそのようなものは持ち合わせておらず、いかに安く質のいいものを買い入れられるか、ここが大きなポイントです。そのため、しまむらには「4つの悪」というルールがあり、その4つの悪を追放することをバイヤーに公約しています。

 

その1つ、返品は、たとえどんなことがあったとしてもバイヤーに返品せず、必ず売ることを心がけます。赤黒伝票は、一度切った伝票を書き換えてあたかも売り上げがあったかのようにする手法をしないことを宣言しています。また商品を仕入れてから値引きの要求はしない、発注をかけた場合にはどんな状況になってもキャンセルはしないというものです。こうすることでバイヤーが安心して取引に応じてくれ、安く質のいいものを仕入れられるようになったというわけです。結果的に経費率もユニクロに比べて低く、利益に直結する体質になっています。

野中さんの経歴の続きですが、2003年には取締役に就任し、人事部、総務部、経理部を統括する立場となり、その2年後、ついに代表取締役社長になります。この時には沖縄県への進出を果たしており、全都道府県にしまむらが存在する状況となっていました。デフレ時代の勝ち組と呼ばれ、景気が悪化し、デフレスパイラルに突入した中でも結果を出し続けた時代に野中さんは社長になります。この少し前から推し進めていたのがトレンド性のある商品の提供です。質のいいものを安く売る、これがしまむらの特徴でしたが、ダサさが出てしまい、しまむら=安い、ダサいというイメージになっていました。トレンドを強く意識し、リサーチを徹底する、野中社長の時代に行われた取り組みです。しまむらの服でコーディネートする「しまラー」がブームになったのも野中さんの功績と言えるでしょう。

 

最後に、野中さんが語っていた「野望」についてご紹介します。野中さんは将来的に銀座に出店したいと語っていました。銀座はファストファッションで注目を集めるなど、しまむらとは本来相性がいい街です。その一方、全都道府県に出店するなど郊外を中心に展開したことで、都内が疎かになっていた面があり、日本全国どこでもしまむらの服が買えるようにという思いがあります。
しまむらは現在苦境に立たされ、なかなか目標である3000店舗の出店にかなり近づいたとは言いがたい状況です。それに加え、2018年2月に会長に退き、2018年の年末には自ら辞任を申し出るなど、これまでの体制が大きく変わるかもしれません。後任は野中さんの先輩であるとともに、現在も創業者の島村さんや藤原さんはご健在、みんなでしまむらを支え、発展に寄与するという思いは共有されています。1日も早く体調が回復し、再びしまむらを引っ張っていくことを切に願うばかりです。