ZOZOTOWN 前澤友作 代表取締役社長 どんな人? 経歴や実績を公開!

 

2019年のお正月にはTwitterで100名に100万円をプレゼントするなど、奇想天外なキャンペーンを行うのが、ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するZOZOの創業者、前澤友作さんです。生まれ故郷である千葉県を愛する前澤さんは、ZOZOTOWNがある幕張に住む社員に対して幕張手当を渡すなど、独特なやり方が話題を集める一方、世間から批判を浴びせられることも多々あります。

 

1975年11月22日生まれ、令和元年には44歳になる前澤友作さんは、千葉県鎌ヶ谷市で誕生します。一般的なサラリーマンの父を持ち、その長男として誕生し、中学時代は地元の小学校中学校に通う、ごくごく普通の少年でした。近くには直売所があり、そこでは鎌ヶ谷市でよく採れる梨が売られており、少年時代はそれをよく買って食べていたとのことです。

早稲田実業高校に進学すると、音楽に目覚め、出席日数がギリギリになるまで音楽活動を行います。アルバイトも積極的に行い、バンド練習の費用やアメリカへ旅行するための費用を捻出、高校を卒業すると半年間アメリカを旅行します。帰国すると、アメリカで買ってきたレコードなどを販売し、これが商売になると踏み、1995年、20歳にしてレコードなどの通販ビジネスに乗り出します。

 

ZOZOTOWNの前身、2018年まで社名だったスタート・トゥデイを立ち上げたのは1998年、同じ年にバンドがメジャーデューを果たすなどこの時はまだ現在のようなアパレルに手を出していませんでした。アパレルに手を出すのは2000年の10月、カタログ通販で行っていたものをオンライン通販に切り替えます。実はこの時、システムなどを業者に発注するも思ったような仕上がりにならず、自ら専門書を購入してシステム開発を行い、収益率を格段に向上させています。自前でやる精神はこの成功体験から来ていることが言えます。現在の千葉県千葉市、幕張に移転するのは2001年1月のことです。

 

2001年になると、バンド活動と経営者の二足のわらじが難しくなり、立ち上げ当時のスタッフがどんどん辞めていくことで一念発起、いったんバンド活動はお休みし、経営者として専念します。セレクトショップが増え始めた2004年に社名の由来にもなる「ZOZOTOWN」を開設、当初はスタッフが大好きなブランドに営業をかけるなどしてセレクトショップの数を増やします。

 

2007年には株式上場を果たすなど勢いがつき、2010年にはヤフー株式会社と業務提携、2011年にはソフトバンクと香港に合弁会社を設立、また中国にも100%子会社を設立するなど、ワールドワイドに活動範囲を広げます。
前澤さんの特徴は、トラブルを逆手にとって注目を集める手法にあります。それを象徴するのが2012年の送料無料です。当初は、ZOZOTOWNの送料が高いと消費者が声を上げたところ、そのつぶやきを見た前澤さんがTwitterで反論を展開し、炎上してしまいます。東証一部に上場しているスタート・トゥデイの株は下がっていったことで、一転して前澤さんは全面的な謝罪を行い、11月には送料無料を打ち出します。
今までになかったことをするのも前澤さんの特徴であり、特に有名なのがツケ払いサービスです。本来、商品を購入すれば代金を支払ってから受け取る形が一般的ですが、この支払いを最大2ヶ月遅らせ、支払う前に商品を手にできるというものです。中身を見た上でお金を支払えるという画期的なメリットを打ち出し、当時大きな注目を集めますが、このツケ払い、事実上の信用販売にあたると批判も。画期的なサービスを打ち出す中で批判がつきまとうのが前澤流でしょう。

2016年には千葉マリンスタジアム命名権を取得しZOZOマリンスタジアムになります。実はこの挑戦は2回目で、2011年の時は同じく幕張に本社があるQVCジャパンに敗れており、そのリベンジを果たした格好です。

冒頭の幕張手当同様、千葉愛にあふれている前澤さん、2018年にはプロ野球球団を持ちたいと表明し、大きな注目を浴び、その2ヶ月後には月旅行の計画に賛同し、契約を行います。2019年1月には100人に100万円のお年玉をプレゼントする企画を行うなど、知名度的にも多くの人が知る存在となりましたが、この時期から経営に多少暗雲が立ち込め、今に至ります。令和になり、苦境に立たされた前澤さんの起死回生の一手に注目です。

 

最後に、前澤さんのポリシーについてご紹介します。企業理念として「世界中をカッコよく、世界中に笑顔を。」を掲げており、人が幸せで平和であることに貢献できる会社にしようとします。このきっかけとなったのが2001年に発生した同時多発テロです。この当時はバンド活動と経営者の二足のわらじの時期で、経営者として専念する時期を前後します。何のために企業活動を行うのか、漠然と考えていた前澤さんが同時多発テロを通じ、あの企業理念にたどり着きます。単に売り上げや利益を目標にするのではなく、人を幸せにするために何ができるのかを考え、実行に移す。奇抜な発想や画期的なアイデアの数々はこうした企業理念を下敷きに実行されていることは明らかです。