山田昇 株式会社ヤマダ電機 代表取締役会長

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全国で1兆円以上を売り上げる家電量販店のトップランナーヤマダ電機の創業者は山田昇さんです。

1943年2月11日生まれ、令和元年で76歳を迎えた山田昇さんは、1966年、当時の日本ビクターに入社しますが、仕事ぶりが評価されなかったことで退職し、個人で家電を売る仕事を始めます。

家で使う、家電のメーカーを統一する家庭が少ないことに目をつけ、様々なメーカーの家電を売るという、当時としては異例の商売方法、安売りなどで成長させます。

全国展開を始めたのは1999年と遅く、その後は既存の家電量販店を買収して規模を拡大し、2005年、日本の専門店で初めて連結売上が1兆円突破、わずか6年で47都道府県への出店を達成します。リーダーシップを発揮して引っ張ってきたのが山田昇さんです。

山田昇さんは現在会長として、社長に仕事を譲りつつ、まだまだ現役です。役員報酬は2018年3月期で3億9800万円受け取っており、5期連続でアップしています。2012年の週刊現代では、山田さんの年収が23億5000万円、資産は985億円と紹介し、日本有数の資産家であることがわかります。

名言も数多く残されており、その中で「努力は人一倍する必要があるが、その努力も、可能性があってはじめて報われる。」というものがあります。

ガムシャラな努力は必要だが、その努力には可能性がなければならず、そこでようやく報われるという、多くの社会人、スポーツマンにとって刺さる名言と言えそうです。

山田さんの人物像ですが、長期的な視点で物事が見られる人物です。その証拠として、山田さんが会長に退いてから再び社長となり、後任を見つけてまた会長に戻る際、山田さんの息子を社長に据えませんでした。多くのケースでは、自分の息子などを後継者に据えるケースがほとんどですが、山田さんはそれを選びません。

実はこの当時、ヤマダ電機の勢いは落ちており、いつかは苦境に立たされることは目に見えていました。同族経営ではなく、優秀な人材を引っ張ってきてあてがう方が得策と判断し、息子を社長にせず、取締役にとどめさせています。この判断が冷静に行えるのが山田さんの特徴であり、決して情に流されないところも魅力です。


最後に、現在山田さんが力を入れていることについてご紹介します。2012年に山田さんは、一般財団法人山田昇記念財団を設立し、その功績が認められ、公益財団法人山田昇記念財団として認定を受けます。子供の健全な育成や災害支援に力を入れる他、幼稚園や老人施設の送迎用バスにドライブレコーダーを導入するアシストを行うなど、地域貢献に一役買っており、今後の活動に注目です。