組織内部のスケジュール、タスクの共有などを行うソフトウェアをグループウェアと言いますが、国内グループウェア市場の中で11年連続トップなのがサイボウズ株式会社です。
そのサイボウズ株式会社の社長は、青野慶久さん。仲間数人でサイボウズ株式会社を立ち上げ、青野さんは2005年に就任しました。
1971年6月26日生まれ、現在48歳の青野慶久さんは、愛媛県今治市の出身です。
大阪大学卒業後、松下電工に入社しますが、それまでのソフトウェア作りから一転、スコアボードを売る営業マンになります。ソフトウェア作りに向いていないと思っていたものの、当時ウェブ技術の発展スピードが目覚しかったことで青野さんは再びコンピューターに熱を入れだします。
新しい技術を使って、誰でも使いやすいグループウェアを作る、その思いが強まり、松下電工を辞めて、1997年にサイボウズ株式会社を立ち上げました。
インターネットが普及し始め、それに伴うサービスが急速に拡大した追い風に乗り、サイボウズ株式会社はわずか5年ほどで東証二部に上場を果たします。広告宣伝に力を入れ、売り上げの半分を使って全国紙に全面広告を出すなど、とにかく名前を売ることを心がけます。
2005年には青野さんは社長に就任し、企業買収を積極的に仕掛け、売り上げを数倍に増やし、順風満帆かに見えました。ところが、買収先の会社が赤字を出したことで黒字は大幅減、この時、青野さんは自分に社長は向いていないと落ち込みます。
落ち込んだ青野さんを救ったのは、前職の松下電工の創業者である松下幸之助さんの言葉でした。「真剣に志を立てよう、生命をかけるほどの思いで志を立てよう」という言葉は、それまで多方面に手を伸ばしていたサイボウズの方針をグループウェア一本に絞ることにつながります。世界一のグループウェアを作る、その方針が定まり、買収先の企業をほとんど売り払いました。
その後、サイボウズは国内シェアトップを獲得するなど順調に成長し、自治体ITシステム満足度調査で6年連続ナンバー1、導入社数シェア12年連続ナンバー1などを記録します。
多様な働き方を心がけ、100人いたら100通りの働き方があると考え、様々な制度を作りました。青野さんは、自ら育児休暇を取得する他、選択的夫婦別姓制度に賛成し、国を訴訟して正面から夫婦別姓問題にぶつかっていくなど、多様的な社会に向けた活動にも積極的です。働き方改革でようやく企業が重い腰を上げる以前から、すでに青野さんはその活動をしていました。今後どのような一手を打ち出すのか注目です。