新型コロナウイルスの影響もあって、苦境に立たされながらもなんとか踏ん張って、前を向き続けるパチンコパチスロ業界。その中でも大手に属するメーカーに京楽産業株式会社があります。その京楽産業株式会社において、現在社長を務めているのが榎本善紀さんです。榎本善紀さんといえば、奥さんがあの伊東美咲さん!美女を奥さんにした榎本善紀さん、経歴や年収実績などをまとめました。
榎本善紀さんの経歴について
榎本善紀さんは1968年9月27日生まれで、今年で52歳を迎えます。出身地は愛知県名古屋市、父親は京楽産業株式会社で代表取締役会長を務めている榎本宏さんです。父親の宏さんが仲間と一緒に立ち上げたのが今の京楽産業株式会社です。第二次世界大戦で敗れ、旧日本軍の兵士だった父親の宏さん、戦時中の仲間だった人物と一緒に立ち上げており、この時、宏さんは海運業を営んでおり、パチンコ業界に転身を図ります。その後、京楽は勢いをつけて成長を重ね、様々なヒット機種を世に送り出します。
一方、榎本善紀さんですが、高校は愛知県立鳴海高校です。今でこそ京楽は人気メーカーでしたが、榎本善紀さんが高校生だった当時はまだそこまで有名ではなく、有名な機種も世に送り出せていません。そのため、社長の息子だから入れるような立派な高校ではなく、愛知県の県立高校へ入ることになります。その後高校を卒業すると、榎本善紀さんはユニオンという会社に入ります。
パチンコで大事な玉の自動補給、これを担う会社であり、元々は京楽の関連会社です。いわゆる修行、下積みの一環としてユニオンに入社した榎本善紀さん。その後、1995年、榎本善紀さんが27歳の時に親会社である京楽産業株式会社に転籍し、1998年委は取締役、そして、2006年、37歳にして代表取締役社長に就任しました。
榎本善紀さんの年収はいくらぐらい?
泣く子も黙る京楽産業株式会社の社長である榎本善紀さんの年収ですが、株式上場など客観的なデータがあればよかったものの、それがないため、推測となります。京楽産業株式会社の全盛期は、発売する台が飛ぶように売れており、業績もうなぎ上り。榎本善紀さんの年収も数千万単位であったことが考えられます。それを裏付けるように、榎本善紀さんと伊東美咲さん夫妻の新居が東京都内に建てられることになった際、父の宏さんが10億円の豪邸をプレゼントしました。しかも、この10億円、宏さんが現金でドンと支払ったというのですから、榎本家、創業家でかなり儲けている可能性が高いです。そのため、榎本善紀さんもそれなりの資産を築いているかもしれません。最近は売り上げも落ち、2000万円、3000万円あたりではないかとささやかれていますが、100歳に迫る勢いを見せる宏さんが亡くなった場合、莫大な遺産が入ってくる可能性もあり、今後年収や資産に劇的な変化が生じる可能性もあるでしょう。
榎本善紀さんの実績はある?
榎本善紀さんが社長になったのは2006年8月のことです。この時には多くの有名機種を発売しており、CRぱちんこ○○シリーズがどんどん発売され、現在もシリーズとして続く、ウルトラマン、ウルトラセブン、水戸黄門、冬のソナタなどは榎本善紀さんが社長になる前からありました。
榎本善紀さんが社長になってからは美空ひばりさん、アタックNo.1、仮面ライダーなどキャラクターやタレント、有名人関連のパチンコ機種を生み出し、京楽が生み出したP-フラッシュ、エアバイブなどパチンコを打つ人を熱くさせる演出を数多く生み出し、他のメーカーに大きな影響を与えます。その後も、パチンコの新たな姿、続編のパワーアップなどどんどん勢いを増していき、2013年にはパチスロにも進出、ここでも人気を博するなど、京楽らしさを全開にしており、榎本善紀さんの実績といっても過言ではありません。
榎本善紀さんの今後はどうなりそう?
京楽の勢いは以前に比べると落ち着きを見せていますが、一方で京楽を支えてきた定番のシリーズを続々とリニューアルさせ、スペックの縛りが大変なパチンコ、パチスロの新基準に沿ったものを打ち出しています。多くの人に楽しんでもらえる台をいち早く作ってパチンカー、スロッターのハートをわしづかみにしており、今後もその流れは続くはずです。まだ50代前半、ここからさらに勢いを見せていく可能性は高く、榎本善紀さん、そして伊東美咲さんとの間に生まれた子供が後継者となるまで、榎本善紀さんの活躍は続くことでしょう。
まとめ
京楽の歴史は榎本善紀さん、そして、父親の宏さんが歩んできた歴史と通じるものがあります。最初から順風満帆だったわけではなく、ジワジワとポジションをつかみ、一気に花開いた様子はさすがの一言です。業界的に厳しい時代を迎えていますが、エンタメ系で力を入れる京楽、そして、榎本善紀さんの動向に注目です。