あえば直道(一般社団法人JCU議長)とアメリカとの関係とは!?

アメリカ大統領選挙がいよいよ11月3日に投開票されます。本来であればアメリカ大統領であるトランプ氏が圧倒的有利のはずが、現状は民主党候補のバイデン氏がリードしていると報道されています。しかし、日本やアメリカのメディアがバイデン氏を持ち上げているだけで実際はトランプ氏が有利であると主張する人がいます。それが一般社団法人JCUの代表理事を務めているあえば直道さんです。あえば直道さんとはどのような人物なのか、ここでは生い立ちの部分を中心にご紹介します。

 

あえば直道さんとは

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あえば直道さんは1967年1月5日生まれ、現在53歳で、神奈川県横浜市の出身です。1967年といえば公害問題が徐々に公になっていくなど、日本の経済成長とその弊害が段々と浮き彫りになっていく年です。あえば直道さんの父親は、司法試験に合格して間もない時期だったそうです。あえば直道さん曰く、あえば直道さんの母親のお父さんに金銭面などの援助を受けて、それで司法試験にチャレンジし、なんとか弁護士に向けての道が開いたという状況です。あえば直道さんといえば物事の本質を鋭く捉えて、それを理路整然と、心の中では熱く語るスタイルが特徴的ですが、このスタイルになったのはあえば直道さんの父親の影響があるのかもしれません。父親は何かとパワフルだった方で、当時はまだ注目されていなかったプライバシーの権利に注目して、結果を出していきます。
他の人が注目してこなかった分野に目をつけて成功したあえば直道さんの父親ですが、息子に対してある言葉を贈ります。それは使命にちなんだ言葉です。自分には使命があり、それはおまえにもあるはずだと語りかけます。その使命を人生で探し出せ、あえば直道さんの父親はそのように問いかけたのです。しかし、この言葉を最初から肝に銘じ、心の中に刻み込んでいくようなことにはなりませんでした。

 

あえば直道氏に待っていた試練

あえば直道さんは幼い時から多少スパルタな環境で小学校受験、いわゆるお受験を行っていました。やれることはなんでもやるという勢いでお受験に参加した結果、あえば直道さんは慶應義塾幼稚舎に入ります。小学校、中学高校、大学とすべてエスカレーター式で上がっていけるのが慶應義塾のいいところであり、元々慶應ボーイだったOBたちがこぞって子供を慶応義塾幼稚舎に入れようとします。あえば直道さんの両親が慶應義塾大学の出身かどうかは定かではありませんが、学歴がとても大事であると判断したのかもしれません。その結果、親の期待に応える形で慶應義塾幼稚舎に入ったあえば直道さんでした。しかし、ここからがあえば直道さんにとって苦難の道のりの始まりだったのです。
立派なところにあればバラ色の未来が待っていると普通の人は感じますが、実際に入ってみると同じようなレベルの人が一堂に会するわけです。つまり、高いレベルでの争いがスタートしたに過ぎないのです。しかも良血な人が多く、苦労してなんとか積み重ねてきた叩き上げのような経歴の父親や少しおっとりとした性格の母親の間に生まれた、ごく普通な少年が対峙するには相手が悪かったという側面があります。自分はこの中では全然だめだと早々に自信喪失の気分を味わいます。どうせ自分は何をやってもダメだ、そのように感じたせいか、運動もできなければ勉強もできないという、いいところなしの状態に追い込まれます。
この頃のあえば直道さんはおそらく今までの人生の中で一番怠惰な時期だったのかもしれません。なにをやってもうまくいかない、自暴自棄のような状態だったこともあり、ストレスで食べて太ってしまい、勉強の予習も復習もする気がない有様でした。そして、テレビをずっと見ているような生活習慣では、なにもうまくいかないのは仕方ないでしょう。
中学に入ってもこの傾向が変わることはありませんでした。一応中学は弓術部に入ります。あえば直道さんは戦略的な考えを持つ部分がありますが、この時期に既にその片鱗が見えていました。中学時代に弓道をやっている人間はあまりいないはずで、この時代に弓術を始めれば劣等感に苛まれるようなことにはならないという読みがありました。これもあって中学時代に弓術部に入ります。そんな中学時代もあえば直道さんには厳しい時期で、この時は退学などもチラついたそうです。それだけ何をやってもうまくいかず、中学受験の組にも早々に抜かされていく構図になっていました。
高校に入ってからも展開は同じでしたが、変化があったのは弓術部です。元々劣等感に苛まれないようにするために弓術部を選んだあえば直道さんですが、高校に入ると事情が大きく変わりました。慶應の高等部における弓術部は大変な強豪校で、インターハイなど学生の大会では常に存在感を見せるようなところだったのです。当然そのようなところは練習をみっちりと行うような場所なので、これまで本腰を入れてやってこなかった分、辛い思いをするようになります。高校までは一事が万事そんな調子で、何もかもうまくいかないような状況が続きました。

 

変わるきっかけ

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しかし、そんな状況を変えてくれた存在がありました。それが両親の祖父です。なかなか自分の存在を自分自身では認めにくい状況だった中で、あえば直道という存在を認めてくれたのが両親の祖父でした。そんな両親の祖父、父方母方共に同時期にこの世を去ってしまいました。自分の味方になってくれるであろう人たちがいない、このことはあえば直道さんにかなり重くのしかかったはずです。皮肉にもこの状況があえば直道さんの今日まで続く大躍進のきっかけを生み出します。両親の祖父がいない状況に対してあえば直道さんは、どこかで必ず見守ってくれているはずだと考えたのです。もし怠惰な姿を祖父たちが見ていたとすればどうか、そのように考え始めた時、あえば直道さんの中で何かが変わります。
雲の上で自分の事を見守ってくれている、そのために悪いことはできない、そして運命は変えられるのだと考えます。そしてこの時、父親があえば直道さんに授けてくれた使命という言葉が浮かび上がるのです。使命に目覚める、そうすれば人生は変えられると知り、そのように考え方を変えていきます。祖父たちが亡くなり、意を決して弓術に取り組むことになったあえば直道さんは、ひたすら練習を重ね、上達に向けた努力を行います。最初のうちはなかなか結果が出ませんでしたが、努力は必ず報われると言わんばかりに一気に才能が開花します。結果的に新人戦にチャレンジして4位に、その後、20本すべてを命中させることに成功するなど、今までとは違う一面を周囲に見せつけるようになります。

 

まとめ

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映画に出てくるヒーローのような挫折からの巻き返しがここから始まり、周囲を驚かせていきます。あえば直道さんは何もない状況でアメリカに渡り、一から信頼関係を構築していき、共和党の肩書きを持つまでになります。もがけばどうにかなる、そのがむしゃらな気持ちがあるからこそ異国の地で活躍できるまでにつながったのかもしれません。トランプ大統領もどちらかといえば苦労人で、相当大変な思いをしたそうですが、あえば直道さんは自分が経験したことをトランプ大統領のそれと重ね合わせていてもおかしくはないです。人間味がある証拠であり、情緒的な部分を持ち合わせているからこそ、そのようなことができるからです。