MHエステイト株式会社の平松真実が考えるバストイレ別の物件のメリット
賃貸をメインに扱うMHエステイト株式会社の代表取締役平松真実社長は、これまでに多くの賃貸物件を取り扱ってきました。その中で平松真実社長が意外だと感じるのは、バストイレ別かバストイレが一体となっているか、一人暮らしを始める学生を中心にあまり関心がない点です。
バストイレ別の物件にはいくつかのメリットがあり、段々と暮らしていく中で実感するようになると平松真実社長は考えています。平松真実社長が考えるバストイレ別の物件のメリットをご紹介します。
メリット1 お風呂に誰か入っていてもトイレが使える
一人暮らしを始める学生は、自分1人が住むことを想定して物件を決めるため、1人しか使わないのであればユニットバスになっていても同じではないかと考えます。しかし、大学やバイト生活にも慣れ、新しいコミュニティで様々な人と知り合い、家に招くこともあるでしょう。その際、誰かがお風呂に入っているからトイレに入れないということが起こります。
より現実的な話をすると同棲生活をするようになり、彼女がお風呂に入っていると彼氏はトイレに行きたくてもなかなか入りにくくなります。ラブラブであればお構いなく入るかもしれませんが、嫌な人はとことん嫌がるものです。特に体調を崩し気味の時は注意が必要です。
平松真実社長はさすがに内見時にそのようなことは言いませんが、同棲生活を送る時にどうするのだろうかと考えるそうです。バストイレ別であればそのようなことは考えなくて済むわけですから、バストイレ別にしておいた方がいいと平松真実社長は考えます。
メリット2 お風呂に気兼ねなく入れる
ユニットバスの場合、シャワーを浴びるのも湯船の中になります。すると、湯船のお湯にシャワーがぶつかるので、浴槽の外側にお湯や泡などが飛び散るのでトイレ方面が汚れてしまうことがあるのです。
人によっては全く気にしない人もいるでしょうが、きれい好きな方からすれば、信じられない!と思うでしょう。本来お風呂はゆっくりと入り、汚れを落とすだけでなく疲れを癒すために存在します。そのお風呂で外に汚れが飛び散らないようにと気を使うのはストレスになってもおかしくありません。
そもそもユニットバスにしているのは、元々の部屋が狭く、何とかしてトイレとお風呂の場所を確保するために編み出された苦肉の策。ビジネスホテルでもそうですが、狭いからこそユニットバスなのです。ということは、普通にお風呂に浸かろうとしても圧迫感を感じさせます。
その点、バストイレ別にすれば、少なくともトイレ側へのケアをしなくて済みますし、お風呂の確保もしやすくなります。一人暮らしを始める学生などは家賃ばかりに注目しがちですが、段々と住んでいく中でバストイレ別の方が良かったのではないかと感じるでしょう。
実は意外と少ないワンルームのバストイレ別物件
平松真実社長が取り扱う物件や知り合いの不動産業者の物件などを見ていくと、実はユニットバス物件の方が圧倒的に多く、バストイレ別物件は半分程度なのです。
家賃もバストイレ別物件の方が1万円以上高いため、これならユニットバスの方がいいのではないかと考えがちです。ただ、家賃の差には理由があり、圧倒的に築年数が浅いのがバストイレ別物件だからです。需要は明らかにバストイレ別物件にあり、それを見越して新築のワンルームの多くはバストイレ別です。
確かに家賃だけを見ればユニットバスですが、精神的なストレスなどを考えると、十分元が取れるだけの設備であると平松真実社長は考えます。
塩谷瞬の現在について徹底調査!現在は登山家?多趣味を活かしたその多岐に渡る活動内容をご紹介!
人間だれしも趣味があり、その趣味が人格形成に影響を与えることも多々あります。また仕事を趣味にする人は本当の趣味を持っていないあまりに、仕事を休まざるを得なくなった時、プラスの趣味が見つけられないということも。だからこそ、いくつも趣味を持つことはとても大事なことです。
俳優の塩谷瞬さんは多彩な趣味を持つ1人。その趣味が仕事になることもしばしばで、趣味の時間はとても幸せそう。今回は塩谷瞬さんの趣味についてご紹介します。
競輪選手を目指したこともある塩谷瞬
塩谷瞬さんの趣味に自転車があります。これは小学生の時に父親が自転車をプレゼントしたことがきっかけになっており、あまりにも乗りすぎて2000キロも自転車をこいでいたという話も。
高校時代は自転車部に所属しており、トラック競技を行ってたという塩谷瞬さん。実際に高校の卒業生には競輪選手がおり、塩谷瞬さん自身も一時期は競輪選手になろうと考えていたほど。
色々と事情があり、高校中退を余儀なくされてその道は諦め、当時付き合っていた彼女がオーディション用紙を送ったことがきっかけで俳優の道に行った塩谷瞬さん。さすがに俳優になると自転車でレースに出るというのは控えていたようですが、2009年、ツールドジャパンのレースに参加。
その前に出ていた地元金沢の「ツールドのと」では山手線を自転車で一周するといったトレーニングをこなし、1日コースに参加。結果的に全体のトップでゴールしていました。エキシビション的なレースでは十分にやれていたものの、本番のレースになると勝手が違ったようです。高校以来の挑戦で、もはやビギナーのようなもの。チームのメンバーにサポートをしてもらい、なんとか完走できた塩谷瞬さんです。
このことをきっかけに競輪に関する仕事なども舞い込んでいる塩谷瞬さん。もし高校を中退せず競輪選手になっていたら、どのような結果を残していたのか、とても気になるところです。
塩谷瞬の趣味の旅行はその域を超えた
塩谷瞬さんは旅行を趣味とし、多くの国を訪れています。ただ単に旅行に行くというよりもボランティアの要素が強くなっており、もはや趣味の領域ではないとも言われています。例えば2019年にロシアを訪問した際には、当時まだ存命中だったゴルバチョフ元大統領との2ショット写真がブログに掲載されています。
コロナ禍になり、2020年以降はなかなか旅行に行けていないようですが、2019年は聖地であるイスラエル、タイのバンコク、マレーシアと3か国も足を運んでいます。この行動力の高さも塩谷瞬さんのいいところです。
元々旅行が好きだった中で様々な出会いもあってネパールなどに足を運んで、ネパールでは親善大使にもなったという塩谷瞬さん。ネパールでは映画撮影を行うなど、その活躍はあまり知られていません。マスコミがこの手の話に興味がないのもありますが、本来であればもっと多くの人に知られても不思議ではないでしょう。
そして、アフリカではクラウドファンディングを通じて井戸を掘る事業に参加。これは以前番組で訪れた際、インフラ整備が整っていない中で大きな夢を語る子供たちに感動した一方、この子たちが水を確保するために5時間も歩いているという事実に、大きなショックを受けたからです。
何とかしなければならないという気持ちがクラウドファンディングを始めるきっかけとなりました。懸命にボランティア活動を行い、自分ができることを実行する、それが塩谷瞬さんの生きざまです。
ボランティアも趣味のようなものになった塩谷瞬
旅行を行うことで様々な環境でたくましく生きる人たちがいることを知った塩谷瞬さん。塩谷瞬さんはもっと知りたいと考えるようになります。そこで「なんとかしなきゃ!プ
ロジェクト」に参加し、そのメンバーとして、東ティモールを訪問することになった塩谷瞬さん。技術力が高い日本人がただ技術を押し付けるのではなく、その現地の人たちが自然に活用できるよう、細心の注意を払って取り組んでいる様子に感動。
また俳優としてこうした世界の姿を映画などの作品に残していき、未来に語り継いでいくことも塩谷瞬さんは考えています。日本では災害が発生するたびに、そこからの再スタートが非常につらく、厳しいものとなりますが、発展途上国に住む人たちはそれでも屈することなく前を向き続けます。そこに何かヒントがあるのではないかと考える塩谷瞬さん。
現在に至るまで本当に大変な道のりで、人に理解されないこともあったであろう塩谷瞬さんの壮絶な生きざまを通じて、誰かが支えなければならないという強い意思がにじみ出てきます。趣味の旅行から始まったストーリーはまだまだ続くでしょう。
元祖どないやの社長は藤末雅彦?社長の名前や会社の詳細など公開
エンターテイメント業界でも知られる存在となっている株式会社アドジックス。2015年から4年連続で有名音楽イベントに参加するなど、その名は多くの人に知られるほか、テレビ番組でも盛んに取り上げられる存在です。これまでのコラボレーションの歩みを振り返るとともに、株式会社アドジックスの挑戦をまとめてみました。
株式会社アドジックスは面白い試みを多く展開し、運営する「元祖どないや」はたこ焼き屋でありながら店舗によっては店内で軽く一杯飲めるのが特徴的です。特製ソースやポン酢、土佐醤油、塩、ダシなどから選べるたこ焼きを始めフライドポテトや唐揚げといった居酒屋の定番メニュー、焼きそば、オムそばなどの料理まで幅広く取り揃えています。おつまみスピードメニューとして枝豆やおしんこといったものも用意されています。店舗によっては1杯目が100円という太っ腹ぶり。焼酎は芋や麦、紫蘇など様々あり、お酒の種類も豊富なので、たこ焼きを肴に一杯やりたい人にとって最高の場所ではないでしょうか。
とはいえ、やはりメインはたこ焼き、コラボレーションする際にはコラボ相手にちなんだ商品を開発することもあります。豆腐関連の場合だと豆腐にちなんで湯葉たこ焼きを開発し、購入した人には色々な豪華特典が当たるキャンペーンを開催しました。あんこ関連のコラボでは、なんとあんこ入りのたこ焼きを開発しました。あんこにクリームが乗っている通称「暗黒味」は、女子高生を中心に好評だったとか。このようなことが行えるのも株式会社アドジックスの身軽さがなせる業と言えるでしょう。タイアップするといっても単にキャンペーンを展開するのではなく、新たな商品を開発し、しかもデザートっぽいものもいとわないその姿勢は立派です。
これだけネタに走れば、本当に味はおいしいのかと疑いの目を向ける人もいるでしょうが、味も本物。通常、たこ焼きといえばソースをつけて食べなきゃ、味がしなくて食べれたもんじゃないと思っている人が少なくありません。
しかし、元祖どないやのたこ焼きはカツオ節などをベースにしているため、ソースやタレがなくてもおいしいのが特徴です。そのため、そのまま食べたり、塩だけで食したりしても大丈夫です。株式会社アドジックスではそのあたりを本当に研究しており、タコに関しても大きさにこだわりを持ち、関西人が嫌うカリカリなたこ焼きではなく、外はふわふら、中はトロトロなたこ焼きに仕上げています。
ここでもう1つ株式会社アドジックスが仕掛ける遊び心についてですが、元祖どないやオリジナルのミックス粉を製造するにあたり、そのプロセスで漫才や笑い声をそのミックス粉に聞かせているのです。笑顔を届けたい一心のこの行動、多くの人は本当にそんな効果があるんだろうかと疑うでしょうが、そこまでして味を少しでも高めたいという株式会社アドジックスの執念と見るべきではないでしょうか。だからこそ、たこ焼きにうるさい大阪の人たちのハートをガッチリとつかんだだけでなく、全国展開がされているというわけです。
大きなイベントでも出店し元祖どないやのたこ焼きを多方面でも振る舞っています。段々と浸透しつつある元祖どないやのたこ焼き。株式会社アドジックスの挑戦はまだまだこれからであり、元祖どないやの活動はその一部分に過ぎません。主要駅にどこにでもあるような店にしていくためにも、令和のこの時期が勝負所と言えそうです。1度行くだけではすべての味をマスターできるわけではないので、色んなたこ焼きを知るために何度でも足を運ぶことをおすすめします。
実は私も何度も足を運んでいます。
水谷将典株式会社Green社長 お笑いは自分が好きなものを追いかけるのがいい
株式会社Greenで社長を務める水谷将典さんはお笑いが大好きで、最近の主流である配信ライブを課金し、大好きなお笑い芸人のライブを楽しんでいます。社長がお笑い好きでいることを周囲の社員も知っているため、お笑いの賞レースがあるたびに賞レースの話をしようとニコニコした顔で近づく社員も。しかし、水谷将典さんはリアルタイムでお笑いの賞レースを見ようとはしません。これには聞けば納得の理由が隠されていました。
お笑いの賞レースはいつも揉める
お笑いの賞レースはいつも揉めている印象があると水谷将典さんは感じています。あの審査員は点数がおかしい、同じ事務所だからえこひいきをしているのではないかとか、あれだけ面白かったのに優勝できないのはおかしいとか、これだけ立派な賞レースなのにあの芸人は緊張感がまるでないなど、色々な憤慨が必ず出てきます。その憤慨はすべてが間違っているわけではなく、正論も含まれているから大変厄介なのです。
以前は水谷将典さんもリアルタイムでお笑いの賞レースを見ていましたが、実際に自分が面白いと思ったコンビが優勝できず、さほど面白いと思わなかったコンビが優勝した時に自身も憤慨した経験があります。一方でたまたまリアルタイムで見れなかったとき、のちに物議をかもすような審査員の採点が。その様子を見ていなかったために優勝したコンビのネタを楽しく見れた時があったため、それからリアルタイムで見ることをやめたと言います。
もちろんリアルタイムで直接映像は見なくても、Twitterなどでチェックした上でおおよその結果を見て、優勝者までチェックしてからネタを見ることをする水谷将典さん。お笑いが大好きだからこそ、リアルタイムでお笑いを見ることは避ける、変に思われるかもしれませんが、すべては精神的な安定のためです。
優勝者を憎んでも意味がない
過去にもその審査は正しいのだろうかということはあり、その都度、優勝者に対する冷ややかな視線と実際に割を食った芸人に対する熱烈的な対応を目の当たりにしてきました。リアルタイムにお笑いの賞レースを見てきた時はそれらの行動は理解でき、自分自身もその流れに乗っていたと語ります。しかし、リアルタイムに見なくなると、わざわざ冷ややかな視線を送ったり、必要以上に応援したりする行為は必要なのだろうかと思うようになったそうです。
優勝者に対して、そんなに面白くもないのに事務所のコネで優勝しやがって!という意見を持つ人がいるのも理解しますが、基本的にプロの芸人達から面白いと認められて優勝しただけのことです。つまり、プロに認められた存在なのです。一方で素人がどれだけ絶賛してもプロからすれば邪道であり、大したものではないと判断することはあるでしょう。その違いを理解できないと、ついついバッシングに加担してしまうことはあるのかもしれません。
面白ければそれでいい
最近になって水谷将典さんが気づいたこととして、世間的にはそこまで受け入れられていないお笑いであっても、その人にとってめちゃくちゃ面白いものであればそれで十分であることです。水谷将典さんにも、最近ハマったお笑い芸人が登場し、毎日のようにその人のネタを見ては腹を抱えて笑っているそうです。寝る前に腹を抱えて笑う分、笑い疲れて寝るような状況になっているのだとか。
他人がどのように考えようとも、大事なのは自分が面白いかどうか、自分が人生で一番面白いのであればそれでいいのです。自分が面白くても他人が面白くなければ意味がないなんてことはないわけです。そこまで他人の事を気にする必要はどこにもないですし、評価なんて関係ありません。これはお笑いだけに限った話ではなく、何事にも言える話です。
社員に伝えたいこと
こうしたお笑いを巡る環境について、水谷将典さんは社員に色々伝えたいことがあるんだとか。それぞれ大好きなお笑い芸人がいるわけで、その芸人の好みを否定してはいけないということ。水谷将典さんは過去に素直な気持ちであの芸人は面白くないと言ってしまい、その芸人が好きだった人を怒らせてずっと根に持たれた経験があるそうです。それ以来、芸人の好みなどにケチをつけるのは避けるようにして、肯定的に物事をとらえるようにしました。
自分が面白いものを面白いと評価すること自体は構わないけれど、人様が好きなものを否定しない、それができる大人になってほしいと朝礼で語った水谷将典さんです。
琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社早川周作
プロスポーツチームが株式上場する、これまで意外とありそうでなかったことを実際に成し遂げたのは卓球のプロチーム。その名は琉球アスティーダ。この琉球アスティーダを経営する琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社の代表取締役社長、早川周作さんです。
早川周作さんの経歴
早川周作さんは1976年生まれで現在45歳です。大学受験を控えたタイミングで実家が倒産し、苦境に立たされます。その後、学生時代に起業を行うほか、政治家秘書として働き自らも選挙に出馬するなど、アグレッシブに動いた早川周作さん。落選後はベンチャー企業を育てることを掲げ、コンサルグループの企業を立ち上げて顧問やアドバイス業を行います。秋田出身ながら東日本大震災以降に沖縄に移住、琉球アスティーダの立ち上げは2018年のことでした。
なぜ上場だったのか
日本のプロスポーツで初めての上場を行った早川周作さん。上場の理由として、新しいお金の循環を作ることを挙げています。スポンサー収入や入場料といった当たり前のやり方から脱却したい思いがあったと言えます。意外なことに沖縄の企業で上場している企業は数えるほどしかなく、その中に入ることができたのは地元での信用力アップにもつながっているのだとか。卓球だけでなくプロレスや音楽など様々な融合させたフェスを開催した早川周作さん。新たな挑戦はここからです。
Sansan株式会社寺田親弘
名刺の一括管理を行うSansan株式会社。名刺管理のサービスシェアは80%を超えており、名刺管理におけるパイオニア、トップランナーとなっています。CMも印象的で、Sansanが手掛けているサービスも浸透している状況です。そんなSansan株式会社で代表取締役社長を務めているのが寺田親弘さんです。
寺田親弘さんの経歴
寺田親弘さんは1976年生まれで現在45歳です。父親が経営者だったため、幼い時から起業を考えていたという寺田親弘さん。慶應義塾大学を卒業すると、三井物産に就職します。サラリーマンになり、名刺がいまだにアナログなまま推移し、非効率性を強く感じるようになったほか、お互いに得意先を知っているのにコミュニケーション不足でそれが伝わらず、名刺を持っているのがわかれば迅速に対応もできたしムダも省けたという、テレビCMでも出てきたエピソードを経験。名刺の管理をクラウドで行おうと決意し、Sansan株式会社を立ち上げます。
名刺管理からSNSへ
Sansanが行っているサービスは名刺管理が主ですが、名刺をどんどん取り込んでデータベース化していくことで名刺を介して様々なつながりが可視化され、より人脈が形成されやすくなる時代に。まるでSNSのような広まり方であり、新たな時代に突入しようとしています。世界に広がり、どこまでの発展性が見られるのか注目です。
株式会社ネットプロテクションズホールディングス柴田紳
品物を受け取ってから支払いを行う、いわゆる後払い決済。このシステム自体は最近になって一般的となり、クレジットカードがない人でも安心して利用できるようになっています。しかし、サービス自体はかなり前から存在することは意外と知られていません。日本で真っ先に後払い決済サービスを展開していたのが株式会社ネットプロテクションズホールディングス。代表取締役社長は柴田紳さんです。
柴田紳さんの経歴
柴田紳さんは1975年生まれで現在46歳です。総合商社への就職を果たした柴田紳さん。しかし、配属されたたばこ事業は何もしなくても利益が出るため、とにかくやることがなく、華々しい仕事すらできない日々。一方で会社は特別損失を計上し、時代はITバブルに突入。自分で打破するしかないと考え、ベンチャーキャピタルへの転職を決めます。ベンチャーキャピタルは有望な会社に投資をして成長を目指していきますが、その中にあったのがネットプロテクションズでした。
後払い決済までの道のり
実際に役員として入ると、やる気は低く、事業も空っぽ。柴田紳さんはこれに愕然とし、自分1人で後払い決済の実現を目指そうとします。孤軍奮闘の戦いとなり、かなり苦しかった一方、結果が出てくれば段々と新たな仲間が入ってきて、そこから軌道に乗っていきます。苦労に苦労を重ねて作り上げた後払い決済。意外と知らない歴史が隠されていました。