武内製薬の武内左儒。シリンジ法キット、ハッカ油、ハンドジェルなどの製造、販売を行う企業に注目。

世のため人のために役立つものをどんどん作っていく、それが企業としてのあるべき姿と言えます。2013年に創業され、8年にわたって、まさに世のため人のために役立つものを作り続けてきた会社があります。武内製薬株式会社です。その武内製薬株式会社の創業から携わり、自らも代表取締役社長として陣頭指揮にあたっているのが武内左儒さんです。武内左儒さんがどのような人生を歩んできたのかを知るだけでなく、武内製薬株式会社がどのようなものを作り続けてきたのかをチェックします。

■武内左儒さんのユニークな経歴

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武内製薬株式会社の武内左儒さんの経歴をご紹介すると、武内左儒さんは1984年3月8日生まれ、今年37歳です。いわゆるアラフォーの年齢に達しており、まさに今から脂に乗ってくるような年齢ですが、武内左儒さんが武内製薬株式会社の前身にあたる企業を創業したのが、2013年、武内左儒さんが29歳の時です。この当時、ブラジリアンワックス脱毛がまだ一般的ではなかった時代に、ブラジリアンワックス脱毛の専門店を立ち上げて、運営を行う仕事を始めます。その後、商材の製造販売として株式会社リピカが立ち上がり、その製造部門を子会社化したのが武内製薬株式会社です。常に武内左儒さんは先頭に立ち続け、会社の規模を大きくしてきました。

そんな武内左儒さんのチャレンジャー精神は今に始まったことではありません。広島県出身で、広島県で生まれ育った武内左儒さんでしたが、とある理由で高校を中退します。その後地元広島から東京へ上京し、フリーターとして生計を立てます。そんな中、何かしらのきっかけがあって早稲田大学法学部に入ります。大学受験のためには大検が必要ですが、これを取得し、改めて受験をして25歳で大学生になりました。それだけにとどまらず、2011年には新宿区議会議員選挙に立候補し、惜しくも当選とはなりませんでしたが、そのチャレンジ精神はいかんなく見せており、片鱗を見せていました。

■武内製薬株式会社が作り出す商品の数々

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熱い気持ちで武内製薬株式会社を引っ張っていく武内左儒さんですが、これまでに武内製薬株式会社、株式会社リピカで作り出した商品には色々なものがあります。美容雑貨のカテゴリーに入るものでは、ひげ剃り後につけるローションがありました。こちらは抑毛効果がある成分を配合しており、髭剃りの後に塗ることでツルツルスベスベの状態を長く保てるという代物であり、男性の美を考えるような商品となっています。こうした男性向けの化粧品、男性向けの美容雑貨は結構多く、男性が使う脱毛キットも登場し、これに関しては通販だけでなく全国の薬局などで販売され、実際に実物を手にすることができます。

メンズゴリラシリーズの中にはウォーマー付きハードワックスキットがあり、自宅で本格的なブラジリアンワックス脱毛ができるというものです。実際にブラジリアンワックス脱毛のサロンで使用しているものと同じものであり、見た目にオシャレな作りになっています。もちろん女性向けのブラジリアンワックス、デオドラントクリームなど日本で作られた製品ばかりです。ブラジリアンワックス脱毛を運営し、その商材を作る会社だからこそ、安全性に配慮し、安心設計なものを世に送り続けられるのです。

武内製薬株式会社という名前だけあって衛生的な商品も多く、ハッカ油のスプレーやハンドジェル、ノンアルコールジェルも製造販売しており、安全性に定評があります。

武内製薬株式会社が送り出すシリンジ法キット

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これまでは美容雑貨などを多く手掛けてきた武内製薬株式会社ですが、最近になって登場したものに、シリンジ法キットなるものがあります。シリンジ法キットとは、妊活を行うカップルにありがたい代物であり、性行為なしで自然な形で受精を試みることができるアイテムです。注射器が中にあり、精液を吸って、それをカテーテルを通して注ぎ込む形になっています。妊活では女性の排卵日などに応じて体外受精、人工授精を行いますが、そのプロセスを守りながら、実際に妊活を行えます。人工授精などは結構な費用がかかりますが、シリンジ法キットを使えば1回につき500円未満にできるのが特徴です。

チャレンジ精神あふれるアクションを取り続けてきた武内左儒さんからすれば、このような商品を作り出し、実際に販売することで、世のため人のためになっていると実感していることでしょう。

まとめ

武内左儒さんのこれまでの経歴や、株式会社リピカや武内製薬株式会社の一連の流れを知ることで、より武内製薬株式会社だけでなく、武内左儒さんに対する興味がわいてきたことでしょう。業界向けのイベントでの出展ブースにも武内製薬株式会社は出展し、多くの商品を紹介しています。新型コロナウイルスによって衛生的な商品に注目が集まる中で、どんな新しい商品を今後生み出してくれるのか、要注目です。そして、シリンジ法キットがどれだけ浸透していくのかにも注目せずにはいられません。

あえば直道(一般社団法人JCU議長)とアメリカとの関係とは!?

アメリカ大統領選挙がいよいよ11月3日に投開票されます。本来であればアメリカ大統領であるトランプ氏が圧倒的有利のはずが、現状は民主党候補のバイデン氏がリードしていると報道されています。しかし、日本やアメリカのメディアがバイデン氏を持ち上げているだけで実際はトランプ氏が有利であると主張する人がいます。それが一般社団法人JCUの代表理事を務めているあえば直道さんです。あえば直道さんとはどのような人物なのか、ここでは生い立ちの部分を中心にご紹介します。

 

あえば直道さんとは

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あえば直道さんは1967年1月5日生まれ、現在53歳で、神奈川県横浜市の出身です。1967年といえば公害問題が徐々に公になっていくなど、日本の経済成長とその弊害が段々と浮き彫りになっていく年です。あえば直道さんの父親は、司法試験に合格して間もない時期だったそうです。あえば直道さん曰く、あえば直道さんの母親のお父さんに金銭面などの援助を受けて、それで司法試験にチャレンジし、なんとか弁護士に向けての道が開いたという状況です。あえば直道さんといえば物事の本質を鋭く捉えて、それを理路整然と、心の中では熱く語るスタイルが特徴的ですが、このスタイルになったのはあえば直道さんの父親の影響があるのかもしれません。父親は何かとパワフルだった方で、当時はまだ注目されていなかったプライバシーの権利に注目して、結果を出していきます。
他の人が注目してこなかった分野に目をつけて成功したあえば直道さんの父親ですが、息子に対してある言葉を贈ります。それは使命にちなんだ言葉です。自分には使命があり、それはおまえにもあるはずだと語りかけます。その使命を人生で探し出せ、あえば直道さんの父親はそのように問いかけたのです。しかし、この言葉を最初から肝に銘じ、心の中に刻み込んでいくようなことにはなりませんでした。

 

あえば直道氏に待っていた試練

あえば直道さんは幼い時から多少スパルタな環境で小学校受験、いわゆるお受験を行っていました。やれることはなんでもやるという勢いでお受験に参加した結果、あえば直道さんは慶應義塾幼稚舎に入ります。小学校、中学高校、大学とすべてエスカレーター式で上がっていけるのが慶應義塾のいいところであり、元々慶應ボーイだったOBたちがこぞって子供を慶応義塾幼稚舎に入れようとします。あえば直道さんの両親が慶應義塾大学の出身かどうかは定かではありませんが、学歴がとても大事であると判断したのかもしれません。その結果、親の期待に応える形で慶應義塾幼稚舎に入ったあえば直道さんでした。しかし、ここからがあえば直道さんにとって苦難の道のりの始まりだったのです。
立派なところにあればバラ色の未来が待っていると普通の人は感じますが、実際に入ってみると同じようなレベルの人が一堂に会するわけです。つまり、高いレベルでの争いがスタートしたに過ぎないのです。しかも良血な人が多く、苦労してなんとか積み重ねてきた叩き上げのような経歴の父親や少しおっとりとした性格の母親の間に生まれた、ごく普通な少年が対峙するには相手が悪かったという側面があります。自分はこの中では全然だめだと早々に自信喪失の気分を味わいます。どうせ自分は何をやってもダメだ、そのように感じたせいか、運動もできなければ勉強もできないという、いいところなしの状態に追い込まれます。
この頃のあえば直道さんはおそらく今までの人生の中で一番怠惰な時期だったのかもしれません。なにをやってもうまくいかない、自暴自棄のような状態だったこともあり、ストレスで食べて太ってしまい、勉強の予習も復習もする気がない有様でした。そして、テレビをずっと見ているような生活習慣では、なにもうまくいかないのは仕方ないでしょう。
中学に入ってもこの傾向が変わることはありませんでした。一応中学は弓術部に入ります。あえば直道さんは戦略的な考えを持つ部分がありますが、この時期に既にその片鱗が見えていました。中学時代に弓道をやっている人間はあまりいないはずで、この時代に弓術を始めれば劣等感に苛まれるようなことにはならないという読みがありました。これもあって中学時代に弓術部に入ります。そんな中学時代もあえば直道さんには厳しい時期で、この時は退学などもチラついたそうです。それだけ何をやってもうまくいかず、中学受験の組にも早々に抜かされていく構図になっていました。
高校に入ってからも展開は同じでしたが、変化があったのは弓術部です。元々劣等感に苛まれないようにするために弓術部を選んだあえば直道さんですが、高校に入ると事情が大きく変わりました。慶應の高等部における弓術部は大変な強豪校で、インターハイなど学生の大会では常に存在感を見せるようなところだったのです。当然そのようなところは練習をみっちりと行うような場所なので、これまで本腰を入れてやってこなかった分、辛い思いをするようになります。高校までは一事が万事そんな調子で、何もかもうまくいかないような状況が続きました。

 

変わるきっかけ

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しかし、そんな状況を変えてくれた存在がありました。それが両親の祖父です。なかなか自分の存在を自分自身では認めにくい状況だった中で、あえば直道という存在を認めてくれたのが両親の祖父でした。そんな両親の祖父、父方母方共に同時期にこの世を去ってしまいました。自分の味方になってくれるであろう人たちがいない、このことはあえば直道さんにかなり重くのしかかったはずです。皮肉にもこの状況があえば直道さんの今日まで続く大躍進のきっかけを生み出します。両親の祖父がいない状況に対してあえば直道さんは、どこかで必ず見守ってくれているはずだと考えたのです。もし怠惰な姿を祖父たちが見ていたとすればどうか、そのように考え始めた時、あえば直道さんの中で何かが変わります。
雲の上で自分の事を見守ってくれている、そのために悪いことはできない、そして運命は変えられるのだと考えます。そしてこの時、父親があえば直道さんに授けてくれた使命という言葉が浮かび上がるのです。使命に目覚める、そうすれば人生は変えられると知り、そのように考え方を変えていきます。祖父たちが亡くなり、意を決して弓術に取り組むことになったあえば直道さんは、ひたすら練習を重ね、上達に向けた努力を行います。最初のうちはなかなか結果が出ませんでしたが、努力は必ず報われると言わんばかりに一気に才能が開花します。結果的に新人戦にチャレンジして4位に、その後、20本すべてを命中させることに成功するなど、今までとは違う一面を周囲に見せつけるようになります。

 

まとめ

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映画に出てくるヒーローのような挫折からの巻き返しがここから始まり、周囲を驚かせていきます。あえば直道さんは何もない状況でアメリカに渡り、一から信頼関係を構築していき、共和党の肩書きを持つまでになります。もがけばどうにかなる、そのがむしゃらな気持ちがあるからこそ異国の地で活躍できるまでにつながったのかもしれません。トランプ大統領もどちらかといえば苦労人で、相当大変な思いをしたそうですが、あえば直道さんは自分が経験したことをトランプ大統領のそれと重ね合わせていてもおかしくはないです。人間味がある証拠であり、情緒的な部分を持ち合わせているからこそ、そのようなことができるからです。

伊藤海 ムゲン・サービス株式会社

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ゴミを少なくするという動きは昔から根強くありますが、事業者から出る廃棄物で実際にゴミの仕分けを行って少なくするということがあまり行われていない現実があります。廃棄物処理を行い、資源を枯渇させないようにする、そんな社会を目指す会社があり、その名もムゲン・サービス株式会社。代表取締役社長を務めるのは伊藤海さんです。1979年生まれ、今年で41歳の伊藤海さんは千葉県の出身です。明治大学を卒業後、人材派遣企業に入社した伊藤海さん。ベンチャー企業だった会社の成長と同じように伊藤海さんも成長を見せ、まだ25歳の年齢で多くの拠点を統括する存在となります。これで自信をつけると、元々関心のあった環境問題に取り組もうと決意、会社を立ち上げます。


廃棄物を回収するというのが大きな特徴で、一般廃棄物、産業廃棄物のいずれも回収します。伊藤海さんの会社が取り組んでいるのは資源の枯渇を防ぐということ。ゴミを回収して仕分けを行うことで資源の無駄遣いを防げます。そのためには仕分けを徹底しており、資源が枯渇しないよう、運営が行われています。この仕分けをすればいいという発想は、昔のゴミに対するイメージがあったためです。現在も海にゴミを埋めて最終処分とするケースですが、以前は燃えるゴミか燃えないゴミかしかなかったため、埋め立てのスペースはどんどん埋まっていきました。これが年々ペースが落ち、満杯になるのに相当な時間がかかるようになります。これこそ仕分けをしているためであり、これも大きなポイントです。


意外にも環境に優しい捨て方を徹底すると利益がいいという効果もあるんだとか。単に捨てるのではなく、資源に置き換えることでお金につながり、利益が出るという仕組みです。お金をかけてゴミを捨てるのではなく、資源にしてお金を得る、これだけでも大きな違いです。今後の目標はアジアでゴミの問題を少なくしていくこと。もしゴミが資源になれば、単に埋め立てたり捨てたりする状況にならないからです。ゴミが多くあるところで子供たちがお金になりそうなものを探す、世界にはそんな状況がありますが、それを少なくできるかもしれません。


伊藤海さんの年収ですが、1000万円を超えている可能性は高そうです。廃棄物回収業は評判があまりよくないことが多いですが、Googleの評価ではほぼ星5つになっているなど、評判は上場です。廃棄物回収業の中でも優良企業であることは確かでしょう。

岡本祥治 株式会社みらいワークス

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プロの人材が企業内で不足することは避けなければなりませんが、その際にすぐにでも補充できるように、業務委託という形でフリーランスの人材を提供するサービス、FreeConsultant.jpがあります。そのサービスを運用する株式会社みらいワークスの社長が岡本祥治さんです。1976年8月28日生まれ、44歳を迎える岡本祥治さんは神奈川県の出身です。学生時代はバレーボールに打ち込んでいた岡本祥治さん、この時はまだ起業をするとは考えておらず、人を救う仕事がしたいと医師を目指していたことも。その後、モノづくりに携わる仕事を目指して慶應義塾大学理工学部に入学、卒業すると、アクセンチュア株式会社に入社し、ITコンサルタントとして活躍します。


アクセンチュアを辞めた後はベンチャー企業で新規事業の立ち上げなどを行い、その後すべての都道府県を巡って、地方が衰退していく様子に、日本を元気にさせたいと奮起、実現させるための手を打っていき、株式会社みらいワークスの起業までたどり着きます。実際にフリーランサーとして仕事をしている時、仕事を撮ってくることなどで苦戦を強いられることがあり、それを他のフリーランサーも経験していたことを知ります。個人のフリーランサーと企業をつなげられればいいのではないか、そのように考え、FreeConsultant.jpが登場します。


クライアントの多くは上場企業などで、実際にサービスに登録するユーザーは数千人規模です。即戦力として人材を活用したいと考えているクライアントが多く、そのほとんどはIT関係の仕事です。フリーランサーとして働きたい人が増えた今、FreeConsultant.jpのサービスの登場は非常に大きく、働き方改革に大きく寄与することは間違いありません。人材不足を解消させ、働き場所を確保する、まさに人を救う仕事といえるでしょう。


岡本祥治さんの年収ですが、2018年9月期の取締役1人あたりの役員報酬はおよそ660万円です。社長であることを考えても1000万円には届かない可能性も考えられます。過半数以上の株を保有している岡本祥治さん、時価総額はおよそ20億円弱です。配当こそありませんが、資産的にはそれなりのものを確保しています。フリーランサーへの実質減税のような税制改正が行われるなど、フリーランスとして働きたい人は増えることが予想され、今後に注目です。

ピップ株式会社 松浦由治の経歴、資産、年収すべて公開致します!

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ピップエレキバンを始め、誰もが知るユニークなCMを数多く世に送り出したことでも有名なピップ株式会社。そのピップ株式会社で代表取締役社長を務めるのが松浦由治さんです。1958年4月3日生まれ、62歳を迎える松浦由治さんは東京都の出身です。大学時代はアイスホッケーを行っていた松浦さん、実家は会社経営を行っており、早稲田大学卒業後、将来的に継ぐことを前提に、いわゆる修業という形で医薬品の卸を行う会社に就職します。4年務めたのち、ピップ株式会社の前身となる会社に入社。しかし、時を同じくして、父親が勝手にP&Gのプログラムに応募し、松浦さんは3年以上アメリカでビジネスについて学びます。


昭和63年にピップトウキョウ株式会社に入社、その後数か月で取締役に就任、平成10年には常務、12年には専務、そして、2005年にはピップトウキョウ株式会社の代表取締役社長になります。その後、合併が行われ現在のピップ株式会社が誕生すると、代表取締役副社長となり、2018年代表取締役社長になりました。創業から110年、日本を代表する老舗企業であるピップ株式会社ですが、社長になった松浦さんが考えたのは、現状が第四創業期であること。消費者視点でマーケティングを考えていく事に力を入れており、松浦さんが社長に就任後、ピップでは初めてマーケティングの責任者を外部から招き入れるなど、マーケティングに力を入れるようになりました。同時に、ピップはなぜ創業されたのか、経営理念とは何かを改めて周知徹底し、新たなピップの歴史を歩もうとしています。


ピップ株式会社は非上場企業のため、役員報酬がいくらかなどは定かではありませんが、平均年収がだいたい400万円から500万円となっており、社長としての報酬は2000万円程度もらっている可能性があります。父親の会社の資産をどれだけ引き継いだかによって資産も大きく変わることが考えられます。いずれにしても、余裕のある状況であることは確かです。


創業100年を超える企業は非常に少なく、ここまで会社を存続すること自体すごいことです。そんな中、松浦さんは新たな創業期と考え、さらに存続させていくための手を打っています。老舗企業だからとあぐらをかくことは決してなく、さらに繁栄をさせていくための一手を放つ、松浦さんの挑戦はここから本格的にスタートとなり、今後の動きに注目が集まります。

青木俊介 ユカイ工学株式会社

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クッションタイプのセラピーロボットやあいさつや一発ギャグが言えるロボットなど、グッドデザイン賞を何度も獲得する、ユニークなモノを作ってきたユカイ工学株式会社。そこで代表取締役社長を務めるのが青木俊介さんです。1978年生まれ、今年で42歳となる青木俊介さんは神奈川県の出身です。父親はエンジニア、母親は理科の教師だったという理系の両親の下で生まれた青木俊介さん。ガンダムはデザインが悪いから見るなと言われ、となりのトトロなどを見るよう勧められたり、ピンクの服を着させられたりと当時としては異端な教育を受けます。


中学時代になるとプログラミングに目覚め、ターミネーター2に出てきたAIの開発にカッコよさを感じます。当時高かったパソコンを青木俊介さんはなんとか説得して両親に買わせ、プログラミングに興じるようになります。とはいえ、今と違ってパソコンに触れる人はオタク扱いを受けた時代、友達にはひた隠しにするなど、学生時代は悶々とした環境下で過ごしたのだとか。東京大学に進学すると、当時話題を集めたインターネットに明け暮れ、大学2年生の頃に株式会社チームラボを立ち上げます。今であれば当たり前のようなサービスを作るも、あまりにも最先端をいきすぎたために失敗に終わりますが、なんとか受託開発で利益を生み出していき、技術開発にお金を回していきます。


ユニークなサービスを生み出すも、ロボット制作が熱気を帯びてきたことを受け、そちらがやりたくなり、チームラボを去り、ユカイ工学を立ち上げます。まずは中国に行きAIを学ぶと、中国と日本を拠点にしてロボット作りに励みます。そして、2011年、ユカイ工学を株式会社化し、ロボット開発に専念。ベンチャー企業が消費者向けのロボットを作るのはハードルが高いと言われながらも作り続けた結果、コミュニケーションロボのBOCCOが誕生します。こうしたロボットの代表例はPepperですが、可愛らしいロボットを生み出すなど、幼い時に受けた教育がいい具合に製品に反映されるなど、新たな時代を切り開こうとしています。


青木俊介さんの年収ですが、今のところは上場などもしていないため、役員報酬が定かではないものの、1000万円程度もらっていても不思議ではない活躍を見せています。可愛らしく癒しを与えるロボットが段々と人気を集める今、新たな需要、供給を目指し、画期的な商品が出ることが期待されます。

吉田まさきこ ワイングロッサリー株式会社

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世界で愛飲され、日本人の中にも根強いファンを持つワイン。そのワインを専門的に取り扱うお店が京都にあります。その名もワイングロッサリー。創業は140年ほど前、老舗のワイン専門店で社長を務めるのが吉田まさきこさんです。1975年生まれ、今年で45歳となる吉田まさきこさんは京都府の出身です。ワイングロッサリーは元々お酒や醤油などを販売する小売業を行っていましたが、営んでいた祖父が亡くなり、吉田まさきこさんの両親が受け継ぎ、ワイン専門店に変えました。その後父親が亡くなり、母親が経営を行うようになります。吉田まさきこさんは大学の栄養学部に入って、管理栄養士として働こうとしていましたが、ワインの仕事をしていればおいしいものが食べられるの一言で現在の会社に入社します。


ただ単にワインを販売するのではなく、実際にワインを製造する生産者のところを訪れていく中で、ワインを作るために畑作業を連日行ってようやく完成されるものであると考えを改めます。母親が経営していた時代は、母親のカリスマ性から家族経営でも成立していたものの、吉田まさきこさんに代わり、組織経営への変革を図ろうとしたところ、社員とのコミュニケーションに悩まされます。今までの働き方でとは違うことをやらされるため、社員からすればなかなか理解できない部分もあり、吉田まさきこさんも経営者としてまだ経験が少なかったため、戸惑いの連続だったようです。


経営者のセミナーなどに参加し、経営者なのに社員と同じ立場で物事を見ていたことに気づかされた吉田まさきこさん。会社の問題は経営者が引き起こした問題であると考え、自分自身が変化しなければならないと痛感します。アプローチの仕方をすぐに変え、ネガティブな言葉や考えをできるだけ避けてポジティブに考えるようになります。すると、段々と周囲も変化し、働きやすい環境が作られていきました。自社ビルを建てようとしている吉田まさきこさん、自社ビルを建てるという発想に行き着くまでには相当な苦悩、そして、それを乗り越えたという自負が垣間見えます。


吉田まさきこさんの年収ですが、資本金から考えると、だいたい1000万円に届くか届かないかというところかもしれません。とはいえ、自社ビルを建設できそうなところにあり、年収は想像以上に多い可能性が考えられます。無事に事業承継を成功させ、次につなげており、次の一手をどのように放つかにも注目です。