株式会社ゲームフリーク田尻智

ほぼ30年近く、その時々の子どもたちを熱狂させ、気持ちを熱くさせたゲームがあります。その名はポケモン。世界中で大人気のこのゲームですが、構想は1989年からあり、苦労に苦労を重ね、1996年に発売されると爆発的な大ヒットを飛ばします。この時、ポケモンの開発に携わり、株式会社ゲームフリークの社長を務める田尻智さんもこのまっただ中にいました。

 

ポケモンがゲーム機を変えた

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今でこそ携帯型ゲーム機は当たり前ですが、当時プレステやセガサターンが発売され、ゲームボーイの売り上げは落ち込み、新たに販売するゲームも数本に限られていました。しかし、赤と緑が発売、通信販売で青も発売され、最終的に1000万本以上も売れる大人気ゲームに。これによりポケモンのようなゲームは売れると様々なゲームが発売され、携帯ゲーム機の市場は一気に活況を呈します。通信機能を使ってデータを交換するというアイデアを見つけ出した田尻智さんの功績の大きさを物語ります。

 

実はポケモン以外にも

ポケモンのイメージが強い田尻智さんですが、ポケモン開発に時間がかかっている頃、その間を詰めるようにヨッシーのたまごを発売。これが任天堂で発売された最初のソフトであり、ヨッシーアイランドなどヨッシーを扱うゲームが多く出る中で一番最初に主役となったゲームです。他にもマリオとワリオにも携わり、クリエイターとして最後に送り出したのがポケモンだったのです。