似鳥昭雄 株式会社ニトリホールディングス 代表取締役会長

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北は北海道、南は沖縄まで国内500店舗以上、台湾中国などで世界100店舗以上を展開するなど、家具の小売業ではトップクラスの株式会社ニトリ、その株式会社ニトリなどを束ねる株式会社ニトリホールディングスのトップ、代表取締役会長を務めるのが、創業者である似鳥昭雄さん。1972年の設立から一代で一気に成長させた手腕は経営者なら誰もが憧れるところです。


1944年3月5日生まれ、令和元年には75歳を迎えた似鳥昭雄さんは、当時日本の領土であった樺太で生まれ、戦争が終わると北海道札幌市に移住します。実家はコンクリートを製造販売する会社を営んでいましたが、似鳥さんは家業を継がず、北海学園大学を卒業後、広告の会社に就職します。しかし、仕事が全くとってこれなかったこともあって半年でクビになると、23歳で似鳥家具店、のちの株式会社ニトリを創業します。複数の店舗を借金でをして構える中、その近くに大型の家具屋ができたことで苦境に立たされる似鳥さん。

 

ターニングポイントになったのは、アメリカで行われた家具研修ツアーでした。1970年代、高度経済成長期で終戦の焼け跡から復活し、各個人の家庭にテレビなどの家電が並び始める時代でしたが、アメリカに行ってみると日本とは比べ物にならないほどアメリカは豊かであることに気付かされます。日本はまだ貧しい、そう気づかされた似鳥さんは、この研修ツアーで人生観が変わりました。30年でアメリカ並みの豊かさにする、似鳥さんが29歳のことでした。この30年というのは、最初の10年は信用を作り、次の10年は人、最後の10年はアメリカレベルの立派な商品を作るというものです。
株式会社ニトリが急成長を見せたのはデフレスパイラルに多くの企業が苦しんだ1990年代末期ですが、実はバブルと呼ばれた時期にすでにその兆候を感じており、本州進出を目論むもあまりに土地の値段が高いということで、手付金を無駄にしてでも出店を中止。土地の値段が転がり落ちるように下がっていくようになり、ここがチャンスと出店を開始します。

この出店の戦略は10年後、20年後を見据え、どのようにそのエリアが動いていくのかを予測し、勝負をかけます。人が変われば店も変わるということで、店の中も定期的にチェンジを行い、古くなればいったん潰して再び新しくする作業に取り掛かります。常に先手を打ち続ける姿勢は人材教育にも示されており、ある年は新卒採用などの新人を全員アメリカに連れていき、ラスベガスのカジノで勝負させます。仕事で大きな賭けをしたがり、勢いだけでやろうとすれば失敗に終わることを身をもって体感させることが狙いです。

30年連続増収増益、バブルやデフレ、リーマンショックなど様々な浮き沈みがありながらもそれを克服してきた株式会社ニトリ。しかし、似鳥さんは利益第一主義ではダメだと言い、お客さんの立場を忘れてはいけないことを説きます。日本人の生活を豊かにしたい、その積み重ねた結果が30年増収増益という揺るがない実績でした。
例えば、すでに市場に出ているような商品でも、既存の商品が高いと分かればそこに切り込んでいくのがニトリスタイル。この商品ならいくらだと気軽に買えるのかを徹底的に調べ、値段を決めます。次にその値段になるために何をすればいいのかを調べ、形にしていくだけ。プロセスは大変ですが、リスクを負うことでチャンスが必ず出てくる、しかも、他の企業がやらない分、それだけチャンスはある、似鳥さんがずっと持ち続ける考え方です。

 

一代で一気に急成長した会社の特徴として、社長以外全員反対でもそれを実行するというのがあります。西武グループ堤義明さんが代表例ですが、似鳥さんもその1人。渋谷への出店の際には、リスクが大きいと周囲は反対の声が大きかった中、それを押し切って出店にゴーサインを出しました。反対されればされるほどそこにチャンスがあるというある種逆転の発想で物事を考え、あっと驚くことを実現させていきます。
2019年は消費税増税を控えるなど経済的なトレンドはあまりよろしくないですが、それでも似鳥さんはその時こそがチャンスだと主張します。その理由は建築地の高騰。近年は建築費が高騰しており、投資をするには不向き、だけど、景気が悪くなれば投資がしやすくなり、出店スピードを上げられる、他が勝負に出ればニトリは出ない、他が守ればニトリは勝負に出る、逆張り的な発想で30年増収増益を達成したというわけです。
最後に、似鳥さんの目指す数字についてご紹介します。似鳥さんの車のナンバーは3000にしているんだとか。この3000は、2032年に3000店舗にするという目標からつけられています。家の様々なところに3000という数字を貼って、意識を高める似鳥さん。国内だけではなく海外で大きく出店数を稼ぐ狙いがある他、新たな事業に乗り出すなど、似鳥さんの飽くなき挑戦は75歳になった今も衰えず、1人のプレイヤーとして最前線に立ち続ける日々です。