田中良和 グリー株式会社 代表取締役社長 どんな人物なのか? 経歴をご紹介!!

  

 

SNSサービスでおなじみのGREEを開発し、その運営を手がけるグリー株式会社の創業者であり、代表取締役社長を務めるのが田中良和さんです。携帯電話で行えるゲームで一躍人気を博し、テレビCMも積極的に行うなど、現在のスマホゲームアプリの宣伝にも影響を与えています。

 

1977年2月18日生まれ、令和元年に52歳を迎えた田中良和さんは東京都三鷹市で生まれました。普通の会社員だった父、母、妹の4人家族だった田中さん、勉強さえしていれば後は何も言われない放任主義の中で育ち、中学校までごく普通に育ちます。この時からゲームが大好きでファミコンで遊び、漫画を読み、ゲームセンターにも足を運びながら、一夜漬けを駆使して成績はいつもトップクラスの少年でした。

高校になると、それでは通用しないことを知り、一夜漬けから一週間漬けに切り替え、最初のテストで下から数える方が早かった中ですぐに上位に食い込みました。ファミ通よりも新しいゲームソフトの情報が早いという理由で日本経済新聞を読み、他の記事を読んでいくことで意識が高まり、段々とゲーム熱は冷め、それから、インターネットに興味を持つようになります。

 

インターネットとの出会いはアメリカへの語学留学をした時。ここでインターネットの無限の可能性を知り、日本に帰ってきてすぐにパソコンを購入し、インターネット関連のベンチャー企業を訪ね歩くことに。同じようにインターネットの可能性を見出した同志と一緒に掲示板の運営やホームページの作成を行うなど、お互いに切磋琢磨する関係性を構築します。
日本大学法学部を卒業すると、インターネットサービスの仕事に就きたいと、現在のSo-netに就職。しかし、経営戦略セクションに配属されるなど田中さんが思っていた仕事ができなかったことで、単にインターネットを扱うところではなく、インターネットベンチャーへ行きたい熱が強まり、早々に退職します。
そんな折、友人の紹介で楽天に入ります。当初は営業マンとしての予定が、インターネットサービスの開発への仕事を言い渡され、田中さんが求めていた仕事に出会うことができました。ブログやアフィリエイトなど令和の時代には当たり前とされたサービスを、田中さんはプログラミングを覚えつつこなしていきます。
2003年、サービス向上に向け研究を重ねていたところ、アメリカで流行していたSNSに注目。この当時は2ちゃんねるなど匿名性のあるコミュニティサイトが流行し、社会現象になっていました。しかし、アメリカのSNSは実名で投稿するなど、日本と全く違う様子でありながら、それでも可能性をかなり感じさせるものだったため、その勉強を始めます。それがGREE開発につながります。

 

当初、GREEは休日に開発を行う、いわば趣味のようなものでしたが、すぐにその評判は広まり、リリース後1ヶ月で会員は1万人を突破、年内に10万人に達するなど大きな注目を集めます。とはいえ、楽天社員との二足のわらじはしんどく、1人でこなすには大変ということで、楽天を辞め、学生時代にインターネットの夢を語り合った仲間を引き連れ、グリー株式会社を立ち上げます。それが2014年12月のことでした。
最初の1年は会社とはどういうものかすら分かっておらず、すぐに現実を突きつけられながらも採用などを重ね、1年後にはしっかりとした組織を構築します。さて、掲示板などのサービス以外にどんなサービスをしていくべきか、そんな話になった際、子供のころに楽しんだゲームを思い出し、携帯電話でインターネットにアクセスする人が多いことに着目し、携帯電話でSNSを利用してもらうことに着目。その一環がゲームです。
ゲーム好きの田中社長、ゲームのクオリティにも力を要れ、自社で作ったゲームを大量にリリース。アイテムを課金させるビジネスを構築したことで、売り上げは一気に急上昇、一躍IT業界のトップランナーへ駆け上がります。
東証一部にグリーが上場した時、田中さんは33歳、史上最年少の上場した創業者となるなど、その勢いは素晴らしく、アメリカの経済誌フォーブルが発表する長者番付にランクインし、日本の億万長者として知られる存在になります。現在はスマホゲームへの移行がそこまで進んでおらず、苦戦を強いられていますが、学年順位が底辺クラスだったところから、冷静に分析して勉強方法を変え、すぐに上位に持ち直した田中さんならではの修正力に期待です。

 

最後に、実は経営者を目指していなかった田中さんの真意についてご紹介します。起業家になりたいわけではなかった田中さん、その気持ちはいいサービスを作りたいという思いを大切にしています。起業はあくまで手段。大事なことは常にがんばり続けること、好きなものでいいからとにかくがんばり続けることを若い人に説いており、少しでも好きになりそうなものを見つけ、それを好きになるようにがんばっていく。インターネットの可能性を見出し、その思いに支えられ愚直に仕事を続けた田中さんならではの考え方です。