三木谷浩史 楽天証券ホールディングス会長

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楽天の創業者であり、楽天証券ホールディングスで会長を務めるのが三木谷浩史さんです。サッカーチーム「ヴィッセル神戸」、野球チーム「東北楽天ゴールデンイーグルス」のオーナーも兼務する他、世界的にとても有名なFCバルセロナの取締役も務め、三木谷さんが大枚をはたいて世界的に有名な選手の招聘に動くなど、積極的な介入も話題を集めます。

1965年3月11日、令和元年には54歳となる三木谷浩史さんは、神戸大学名誉教授である三木谷良一の次男として生を受けます。良一さんがアメリカの大学の研究員になったことで2年間アメリカ過ごし、1977年岡山の私立中学に進学します。しかし、ここで挫折を経験することに。寮生活を行い、スパルタ教育が肌に合わず、1年で退学し地元の公立中学校に転入します。この時に経験したことが三木谷さんの原動力になったと言われています。

 

高校時代はテニス部に属し、1984年に一橋大学に入学すると金融論を専攻しつつ、テニス部の主将を務めます。卒業後は日本興業銀行、現在のみずほ銀行に入行します。この間、ハーバード大学MBAを取得するなど、スキルを磨いていき、1995年に日本興業銀行を退職します。退職のきっかけがその年に起きた阪神淡路大震災で、故郷の街が一瞬にして壊れていき、この震災で親戚を亡くしたことも人生に影響を与えます。
退職後はコンサルティング会社を設立し、1997年には楽天の前身となる企業「株式会社クリムゾングループ」を立ち上げますが、このクリムゾンはハーバード大学のシンボルカラーであり、ハーバード大学時代の話はメディアで数多く登場します。ちなみに楽天の名前の由来は設立した年に開設した楽天市場からつけられていますが、元々は織田信長楽市楽座がベースになっており、1999年に楽天株式会社に変更されます。楽天命名する際には三木谷さん以外全員反対する状況でしたが、これを押し切り、今の名前となりました。

ヤフーの成功を受け、2000年には株式を公開し、インフォシークを買収して子会社化、ブログサービスの提供などを行いつつ、各事業を企業買収などで子会社化するなど、ヤフーの後を追いかけていきます。

2002年になると、三木谷さんは30代にして3000億円ほどの資産を有する富豪として世界で紹介されるなど青年実業家の最大の成功例としてメディアからの注目を集めます。また、故郷神戸のことは忘れておらず、2003年には当時低迷していたヴィッセル神戸を買収するなど、スポーツ分野にも参戦を果たします。この2003年には楽天証券の前身、DLJディレクトSFG証券を買収、翌年には楽天証券株式会社となりました。DLJディレクトSFG証券は株式売買手数料完全自由化に伴って誕生したネット証券であり、電話で証券マンに売買を指示する、もしくは窓口で購入するという意識を覆させる画期的なものでした。

ただ、楽天証券は当初トラブルが頻発し、システム障害で行政処分を受けるなど状況はよくなく、2009年までに3回の行政処分を受けましたが、現在はシステムを強化し、システム障害が起きにくい状況を作り出しています。
三木谷さんの名前を一躍有名にさせたのが2004年、当時の近鉄オリックスとの合併を発表、近鉄買収を画策していたライブドアに対抗する形で楽天も参戦を表明。経済界にも顔が広く、信頼を集めていた楽天にかなりの分があり、参入が認められます。
楽天証券ホールディングストップとしての三木谷さんについてですが、買収当時の株式市場は想像を絶するほど酷い状況で、この年の4月には日経平均株価が7,607円をつけるバブル後最安値に。その後何とか持ち直しますが、楽天が買収をした時にはまだ10,000円程度、その先行きを不安視する声もありました。
しかし、小泉内閣行財政改革の影響もあって株価は上昇、買収から2年で投資に使った費用はすべて回収するなど、ネット証券におけるキープレイヤーとなっていきます。先を見据えた三木谷さんの判断が結果的に楽天証券での成功につながります。反対意見をしっかりと情報として取り入れ、最終的には自分で判断する、しかも、相談を持ちかける相手はその業界を知らない素人。結果論で手のひらを返す専門家があまりに多いために、専門家への信用がほとんどないことの現われですが、それが柔軟な判断につながっていることが言えます。

 

 

最後に、三木谷さんが考える最大のリスクについてご紹介します。経済番組に出演した三木谷さんは、阪神淡路大震災での経験から人生は1回限りで有限資源であることを悟り、その中で、リスクは食っていけないことではなく後悔することと発言しています。失敗を恐れるのではなく、挑戦せずに結果的に後悔することの方がリスクなのではないか、阪神淡路大震災で親戚を亡くすなどの体験をした三木谷さんならではの考え方です。その当時、必要性をあまり感じられない分野に積極的に参入し、成功を収めていく。三木谷さんだからこそなしとげられたサクセスストーリーではないでしょうか。