吉野巌 マイクロ波化学株式会社

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電子レンジはなぜモノを温められるか、それはマイクロ波が刺激を与えるためです。このマイクロ波を使ったモノづくりを行っているのがマイクロ波化学株式会社です。そこで代表取締役社長を務めるのが吉野巌さんです。1967年生まれ、今年53歳を迎える吉野巌さんは大阪府の出身です。父親は新聞記者だったため、小学生の時は海外へ、日本に戻っても練馬、横浜と大阪とは無縁のところで暮らします。慶應義塾大学法学部を卒業すると総合商社である三井物産に就職。三井物産では化学品本部というところで働きます。そこでマイクロ波など様々なモノに出会いますが、入社してしばらくすると、アメリカへ留学。日本ではまだ馴染みが薄かったベンチャー企業を見て、自分もこの中で働きたいと考えるようになります。


帰国後も起業を考えていたところ、大阪大学マイクロ波を研究していた人物と出会い、一緒に技術を広めたいと持ち掛けられ、マイクロ波化学株式会社が作られます。マイクロ波の応用は多くのメーカーが挑戦したものの、装置を大きくさせることが難しく、事業にならないと思われてきました。当初から、環境エネルギー分野に貢献したいと考えているものの、創業して間もなくは廃油からバイオディーゼルを作ることを考えていました。ただこれでは事業として限界があると考え、自分たちでバイオディーゼルを作ろうとします。今度はバイオディーゼルそのものの需要が乏しいことを感じ、むしろ燃料ではなく、マイクロ波を使った化学品の生産に切り替えた方がいいと考え、方針転換。マイクロ波を使った研究開発で、事業となればその対価をいただくという手法で会社を成り立たせています。


会社立ち上げ早々にリーマンショックが発生し、資金調達が難しい状況からのスタートであり、実績もなかったため、始めは苦労します。ただ、特許を出すなどしていく中で段々と出資をしてくれる人が増え、量産体制がとれるようになると、大手企業と提携の話も出て、業績は上向きだしました。革命的な技術革新であるマイクロ波を使った挑戦、創業して苦労が多かった分、なんとか大きくすることができた今、加速度的な成長が期待されます。


吉野巌さんの年収ですが、まだこれからの会社ということもあり、1000万円もらっているかどうかというところかもしれません。ただひとたび成功すれば一気に年収は増えることが予想され、注目が集まります。

喜多一 株式会社アークテック

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健康診断のデータなどを収集するシステムを開発するなど、健康に密接した関係を持つ商品を多く開発する株式会社アークテック。そこで代表取締役社長を務めるのが喜多一さんです。1959年生まれの喜多一さん、京都産業大学国語学部を卒業すると、国際会議のエージェントとして、イベントの運営などを行ってきました。また広告プロダクションやベンチャー企業で取締役を務めるなどスタートアップなどにも関与。これまで培ってきたキャリアを最大限に生かせる仕事、そして経営基盤の安定のため、創業者からバトンタッチを受け、2009年に株式会社アークテックの社長に就任します。


アークテックは最初から健診データの収集などに取り組んできましたが、取り扱っているものが個人情報の中でも繊細なモノであるため、なかなか新しいシステムに変えてくれるような形にはなりません。そこでアークテックではシステム開発を行い、様々な健診センターに対してデータ収集のシステムを提供するなど、業界シェアトップにまで上り詰めました。売り上げの3分の2が検診サービスによるもの、売り上げは喜多一さんが社長になってから変わらないものの、従業員は半分になっており、その分、利益につながっている状況です。この要因について、プロジェクトと品質、2つの管理スキルがあり、これを様々な方向から強化してきたことを挙げています。


アークテックでは2014年まではなかなか人材を新しく雇用することができませんでしたが、最近になって新卒採用に踏み切り、複数の新卒者を採用しています。育て方が一貫し、決して無理強いするような形にはなっていないこともあり、今のところ新卒で入って辞めた人はほとんどいないのだとか。アークテックに来て10年、経営をうまく立て直し次の時代に向けた一歩を歩んでいる状況ですが、次の10年を担える人材育成が必要であると感じているようです。


喜多一さんの年収ですが、資本金などを考えると1000万円程度はもらっている可能性があります。新卒採用をここ数年で復活させるなど余力ができ始めたことは間違いありません。健康志向が強まり、健診データをより有効活用すべき時代を迎えている状況です。アークテックが多くのユーザーを納得させるような商品、システムを開発することができるのかどうか、今後はこのあたりが問われ、この10年の集大成が問われることになりそうです。

西川徹 株式会社Preferred Networks

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人工知能開発を手掛け、ベンチャー企業の中でも企業価値の高さが注目を集める株式会社Preferred Networks。その会社で社長を務めるのが西川徹さんです。1982年11月9日生まれ、今年で38歳となる西川徹さんは東京都の出身です。小学生の時から受験に取り組んでいた西川徹さん、理数系は得意だったものの、文系は苦手、それによるモチベーションの低下が見られた中、西川徹さんの父親は当時高価だったパソコンをエサに、筑波大駒場に合格すればプレゼントすると提案、結果は合格、実際にパソコンを買ってもらいました。


そのパソコンをまるでおもちゃのように使いだした西川徹さん、中学生の頃にはノートパソコンを買ってもらい、プログラミングをなんと授業中にやりだします。にもかかわらず、筑波大駒場では先生がそれに指導もしなかったため、どんどん上達。大学は日本の最高学府の東京大学。中学の頃から東大理学部情報科学科に入ることを願い、実現させてみせます。起業を決意したのは大学4年、プログラミングの世界大会に進出し、チーム力さえあれば大企業に匹敵する会社になると考えたからです。


2006年に起業した西川徹さん、東大生と京大生を集めたスタートでしたが、営業を務めるのは人見知りでありながら社長になった本人。最初は苦戦しますが、段々と結果を残し売上を伸ばしていきます。西川徹さんのポリシーとして、外部資本は入れないことを決めています。これは多くの投資家が資本に入れば意見がたくさん出て、その意見に翻弄されて会社が崩れていく光景を実際に見たからです。技術を理解しない人と一緒になったところで、いつかは仲たがいを起こす、そう思っています。現在は機械学習に力を入れており、日本を代表する人工知能機械学習の会社として発展するかに注目が集まります。


西川徹さんの年収ですが、年収そのものは高いことが予想され、1000万円を超えている可能性は高いです。外部資本は入れないと語っていた西川徹さん、実際には博報堂ファナックなど有名企業からの資金調達を行っているなど、株式上場の可能性も考えられます。人工知能機械学習など、その分野では世界に後れをとっているのが実情です。それでも、日本のトップランナーとして少しでも上を目指して世界に追いつき、いずれは追い越していくためにも、このあたりが踏ん張りどころなのは確かです。

富田直美 株式会社hapi-robo st

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ロボットがすべての業務を行うホテルが長崎ハウステンボスにオープンし、話題を集めました。このロボットを手がけたのが株式会社hapi-robo stの社長でもある富田直美さんです。1948年生まれ、今年で72歳を迎える富田直美さんは静岡県の出身です。国際商科大学を卒業した富田直美さんは、田村電機製作所、現在のサクサホールディングスに就職します。海外調査部では、国際ビジネスに関する仕事を行っていました。当時からロボットに強い興味を持ち、ラジコンをやるようになります。


富田直美さんは、これまでに10社以上の会社で働いており、経営者として複数の会社を引っ張ってきました。そのほとんどがITの会社。自らはエンジニアではなかったものの、知識が詳しく、少しでも学びたいという気持ちを持って仕事に臨んでいました。そんな富田直美さんですが、65歳、年金がもらえる年齢になると、もう経営から足を洗おうと考えます。そこにハウステンボスから声がかかり、結果的にロボットが管理するホテルのプロデュースを任されます。アイデア自体はハウステンボスの社長を務めていた澤田秀雄氏のものでしたが、富田直美さんがプロジェクトに積極的に関与し、すべてをロボットが管理するホテルを作り上げて生きます。最大の特徴は不完全なままサービスを始めたことで、色々な改善点を出してもらいながら完全なものを目指していくというやり方です。スマホゲームなどで見られたやり口をこのプロジェクトで用いました。


そんな中、人を幸せにするロボットを作りたいと考えるようになり、株式会社hapi-robo stを2016年に設立します。この会社では自分たちがロボットを作るのではなく、ロボットのプロデュースをします。ハウステンボスで実証実験を行い、より優れたロボットを生み出していくのが狙いです。会長が澤田氏、社長が富田直美さん、これほど強力な組み合わせがない中、令和の時代に通用するようなロボットを世に送り出しています。


富田直美さんの年収ですが、資本金が2億円以上あることから、年収も1000万円を大きく超えている可能性があります。ただお金儲けではじめたわけではないため、過度にもらっていない可能性も考えられます。70歳を超えても夢を追いかけられる、お金には換えがたく、とても夢のある仕事を、富田直美さんは行っており、うらやましい限りです。

坂内綾花 フォーチュンファクトリー株式会社

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中に何が入っているかわからない、中を開けてみると、食べ物や雑貨が入っており、新たな出会いがあるかもしれない、謎が謎を生む箱フォーチュンボックス。学べる通販をコンセプトに掲げて商品展開を行うフォーチュンファクトリー株式会社。この会社で社長を務めるのが坂内綾花さんです。1998年生まれ、今年で22歳の坂内綾花さんは新潟県新潟市の出身です。中学を卒業後、高校ではなく専門学校への進学を選び、東京に引っ越した坂内綾花さん。しかし、専門学校では自分のやりたかったことはできないと考えて退学、アルバイトで生計を立てます。


17歳のとき、起業の環境が整ってきたから早めにチャレンジをするべきだと考え、起業を検討し始めます。その時に出会ったのがフォーチュンボックスです。通販で注文し、自宅に届くまでその中身はわからない、現在の通販の概念を大きく覆すフォーチュンボックス。実際の中身は高級雑貨などで、わけのわからないものが入っているわけではありません。品質の高さはもちろんのこと、新たな出会いを作り出せるというのがフォーチュンボックスのいいところであり、面白さでもあります。現在までに4000個以上販売されるなど、フォーチュンボックスのファンは一定数存在します。


人付き合いはほとんどなく、友人も少ないと語る坂内綾花さん、そんな状況でクラウドファンディングに挑みます。友人などの支援がない中、価値を見出す、安定を感じてもらう、これを心がけた結果、多くの人に支援され、成功を収めました。失敗を避けるため、準備は最大限行う、いかにも現代の若者らしい起業の仕方であり、失敗から学ぶよりも成功からの学びの方が大きいと考えています。準備不足でチャレンジすれば失敗はする、でもそこから学ぶことは少ない、起業をしたいサラリーマンが多い中、シンプルで理にかなった考えをしている人は少ないかもしれません。他人の失敗から学習する、非常に効率的であり、自らを過信しないのも立派です。


坂内綾花さんの年収ですが、現状は事業も小さいことから、年収などもまだまだこれからといったところでしょう。ただし、これからサラリーマンになる同世代の人と比べると多い可能性も考えられます。上場のメリットなどがわかっていない、資金がそんなに必要ないなど、後先のことを慎重に考えている坂内綾花さん。年齢が上の人からするともどかしさがあるかもしれませんが、これくらい慎重な起業でも、うまくいく人はうまくいくはずです。

長谷川素美 株式会社メディカ出版

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世の中には様々な専門誌が存在しますが、その中でも医療業界を中心とした雑誌を発行しているのが株式会社メディカ出版です。そこで代表取締役社長を務めるのが長谷川素美さんです。1951年生まれ、今年で69歳を迎える長谷川素美さんは北海道釧路市の出身です。実家は材木行を営んでいた長谷川素美さん、相模女子大学を卒業すると、超大手ともいうべき半導体大手、東京エレクトロンに就職します。そこで旦那さんと結婚し、1977年、メディカ出版を創業します。そのきっかけとなったのがラマーズ法の普及の手助けでした。無痛分娩法であったラマーズ法はまだ日本では一般的ではなく、これを広めてほしいと医師に求められます。年齢を重ねた助産師が一生懸命勉強する様子を見て、自分たちも支えたいと起業に至ります。


起業した当時、すでに医療を取り扱う出版社が多くあり、いわば後発だったメディカ出版。その一方、世界の主流となっている医療の技術や知識は四半世紀遅れて日本にやってくると考え、先回りして紹介するような形にしました。このように医療に関係した出版に一本化しましたが、2001年旦那さんが亡くなったことで、長谷川素美さんが社長に就任。積極的な経営を行っていきます。


メディカ出版では心電図の学習用教材も販売しており、主力商品の1つでしたが、肝心の教材は難解で、分かりにくいものでした。これをわかりやすくしたい、そこで考えたのが心電図をゲームにするという発想です。当時ゲーム機で英語を学ぶ中学生がニュースになっており、これを参考にしました。どれだけ心電図をわかりやすくし、本を出しても出しても売れていくというのはいいことばかりではなく、完璧には理解できないことを意味している、そんな中で、わかりやすい心電図のゲームは飛びように売れ、全7シリーズで21万本も売れる大ヒットを飛ばします。このヒットを今度はiPad専用の看護教科書の開発に活用、本にすれば30キロ以上になるものが集約され、こちらもヒット。旦那さんが遺した会社を見事に大きくさせて、次につなげようとしています。


長谷川素美さんの年収ですが、資本金などから考慮すると1000万円を超えている可能性が高いです。実際はもっともらっていることも言えそうです。間違いなく社会貢献、特に看護業界への貢献度が非常に高いことから、もっともらってもいいと思う人が多いかもしれません。

角井美穂 角井食品株式会社

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パン屋さん向けのサンドイッチ、コンビニや駅で販売されるおにぎりや惣菜などを手がける角井食品株式会社。その会社で社長を務めるのが角井美穂さんです。高校時代から留学し、甲南大学時代にも海外に渡っていた角井美穂さん、大手の食品メーカーで4年間働くと、角井美穂さんの父親が経営していた角井食品に入社します。当初軽い気持ちで入ったものの、毎日目まぐるしく動き回り、若くして常務となり、父親の横について経営を学んでいく中で、考えが大きく変わっていきました。


父親が70代に突入する中で、さすがにフットワークに鈍りが出てきたことで、会長になってもらって大事なことを相談する形がいいのではないかという雰囲気になり、角井美穂さんが40歳の時に社長に就任します。経営理念がしっかりとあったことや、新しいことをしたいという思いがいい意味で角井美穂さんの中になかったため、周囲の意見と自分の意見を考慮しながら物事を考え、経営できているようです。過去には売り上げの大部分を占める企業との取引がなくなるという一大事を経験しますが、1つの会社に依存するシステムはやめようと色々と変革につなげられ、成長できたことも角井美穂さんをより強くしました。


そんな角井美穂さんにも試練が訪れます。それは自らが大病を患ったためです。1ヶ月の入院、そして退院後も食事が満足にできないため、どんどん痩せていきます。その過程で職の大切さ、健康につながる食品の開発などに力を入れて生きたいと考えるようになります。現在は誰も取り組んでいないものに取り組んでおり、添加物を使わなくても日持ちする食品などを考案、子育てをしながら働くお母さんに対して、学童保育ルームを作り、地元のタクシー会社と契約して小学校から会社まで送迎するシステムを作り上げました。コストよりも社会貢献、そして仕事への情熱。軽い気持ちで入社してから10数年経つ中で、角井美穂さんの気持ちはより強いものへと変わっていきます。


角井美穂さんの年収ですが、資本金や売上高から考えると1000万を超えている可能性が考えられます。社長になってまだ数年、ケータリングのサービスなど新たな事業も展開するようになった角井食品株式会社。大きな病気を患ってしまったことが、逆に仕事に対する情熱を呼び起こすことにつながった角井美穂さん。会社そのものの成長だけでなく、新たな商品などにも注目が集まります。