永岡里菜 株式会社おてつたび

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観光客がやってこないどこにでもあるような田舎は、文字通り全国各地にあります。このようなところにわざわざ観光で向かう人はいません。そのような場所でも人がやってくるような仕組みをサービスにしたサービスがあります。そのサービスを展開するのが株式会社おてつたび。代表取締役CEOは永岡里菜さんです。三重県尾鷲市出身の永岡里菜さん、千葉大学を卒業すると、制作会社にディレクターとして入ります。教師になりたいと思ったものの、社会のことを知らなくては意味がないと感じ、最初に民間企業で働くことにしました。イベント制作の仕事は刺激的であり、全国を回る機会があった中、何もないようで接してみればキラキラしたような感動が味わえる、故郷の尾鷲市を思い返し、地域活性化になる仕事をしようと起業を決断します。


永岡里菜さんが手がけているおてつたびですが、ボランティアのようなことを行いつつ、交通費や宿泊場所、食事を提供してもらうという、対等な関係で地域貢献できるような仕組みとなっています。都市部に住む大学生をターゲットにしており、結果的に過去にお手伝いをしにいったエリアに再び訪れる機会が増え、いつかまた行きたいと考えている学生が多かったなど、一定の成果を出しています。おてつたびということもあり、「たび」の部分も考えられており、現地の人とコミュニケーションをとることで、たびを充実させることができます。お手伝いは朝か夕方以降になることが多いため、日中にできるよう配慮してもらっているそうです。


地方創生を目指し、国を挙げて取り組んでいる一方、掛け声倒れになることが目立ち、実際に地方創生といいながらも大きなうねりにはつながっていません。その中でおてつたびは、交通費などを提供して必要以上に恐縮しなくて済むよう仕組みを作り上げるなど、自然な形で労働力を確保し、地方を知られるような状況にしています。永岡里菜さん以上にその地域のことを詳しくなる人も出てくるなど、大きなうねりを起こすだけのポテンシャルを感じさせます。


永岡里菜さんの年収ですが、まだ設立されて時間が経過しておらず、収入的にはまだまだの部分が多いでしょう。ただ、仕組み自体は大変すばらしく、JAとの連携や様々なビジネスの賞を獲得するなど評価を集めており、資金調達の面などやりやすいことは確かです。今後規模が大きくなれば、地方創生社会が現実味を帯びるようになるでしょう。

園田正樹 コネクテッド・インダストリーズ株式会社

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子供を預ける保育所の問題はいつまでたっても抜本的な解決に至らず、保育所の抽選が落ちたがために女性のキャリアが閉ざされることもいまだに起きています。特に問題なのが、病気になった子供をどのように預けるか、いわゆる病児保育の問題です。この病児保育のサービスを展開するのがコネクテッド・インダストリーズ株式会社、代表取締役社長は園田正樹さんです。1982年生まれ、今年で38歳となる園田正樹さんは、新潟県糸魚川市の出身です。園田正樹さんは社長でありながら、元々は医師で、産婦人科の専門医です。佐賀大学医学部を卒業すると産婦人科の世界へ飛び込みます。


東京大学大学院で学んでいた時、公衆衛生について研究し、産後うつや虐待などを調べていたところ、単に目の前の患者さんを救うだけでなく、生活がとても大事であることに気づかされます。子育ての環境がよくなれば産後うつなどもなくなるのではないか、そのように考えたものの、何から手をつけていいかわからず。そこで話を聞いてみると、子供が風邪を引いてしまうと、それによって仕事を休まざるを得ず、それが引き金となって収入源、キャリアの断絶につながることを知ります。このとき、園田正樹さんは病児保育という存在を初めて知り、この存在が多くのお母さんを救うかもしれないと考えます。


とはいえ、病児保育は意外と利用されておらず、使いにくい、そもそも認知されていないという課題にぶち当たりました。テクノロジーを使えば解決できるのではないか、そのために立ち上げたのがコネクテッド・インダストリーズ株式会社です。会社が提供するサービス、あずかるこちゃんは、予約の際に煩わしい書類をデジタル化し、スマホから予約の申し込みができるようにしています。ただ、実際に病児保育を行うところは、電話でのコミュニケーションに重きを置くため、すべてをスマホで対応されても困るという本音があります。そのため、申し込みだけを行い、その後利用できるかどうか、電話連絡を行う形で成立させています。


園田正樹さんの年収ですが、まだまだこれからということもあり、この事業における年収は少ない可能性が高いです。サービスを含めてまさにこれからであり、クラウドファンディングでは多額の支援が集まるなど、期待度は高いです。新型コロナウイルスの騒動で多くの働く女性が悩まされる中、病児保育の積極的な活用が日本社会に大きなプラスを与えるかもしれません。

吉野巌 マイクロ波化学株式会社

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電子レンジはなぜモノを温められるか、それはマイクロ波が刺激を与えるためです。このマイクロ波を使ったモノづくりを行っているのがマイクロ波化学株式会社です。そこで代表取締役社長を務めるのが吉野巌さんです。1967年生まれ、今年53歳を迎える吉野巌さんは大阪府の出身です。父親は新聞記者だったため、小学生の時は海外へ、日本に戻っても練馬、横浜と大阪とは無縁のところで暮らします。慶應義塾大学法学部を卒業すると総合商社である三井物産に就職。三井物産では化学品本部というところで働きます。そこでマイクロ波など様々なモノに出会いますが、入社してしばらくすると、アメリカへ留学。日本ではまだ馴染みが薄かったベンチャー企業を見て、自分もこの中で働きたいと考えるようになります。


帰国後も起業を考えていたところ、大阪大学マイクロ波を研究していた人物と出会い、一緒に技術を広めたいと持ち掛けられ、マイクロ波化学株式会社が作られます。マイクロ波の応用は多くのメーカーが挑戦したものの、装置を大きくさせることが難しく、事業にならないと思われてきました。当初から、環境エネルギー分野に貢献したいと考えているものの、創業して間もなくは廃油からバイオディーゼルを作ることを考えていました。ただこれでは事業として限界があると考え、自分たちでバイオディーゼルを作ろうとします。今度はバイオディーゼルそのものの需要が乏しいことを感じ、むしろ燃料ではなく、マイクロ波を使った化学品の生産に切り替えた方がいいと考え、方針転換。マイクロ波を使った研究開発で、事業となればその対価をいただくという手法で会社を成り立たせています。


会社立ち上げ早々にリーマンショックが発生し、資金調達が難しい状況からのスタートであり、実績もなかったため、始めは苦労します。ただ、特許を出すなどしていく中で段々と出資をしてくれる人が増え、量産体制がとれるようになると、大手企業と提携の話も出て、業績は上向きだしました。革命的な技術革新であるマイクロ波を使った挑戦、創業して苦労が多かった分、なんとか大きくすることができた今、加速度的な成長が期待されます。


吉野巌さんの年収ですが、まだこれからの会社ということもあり、1000万円もらっているかどうかというところかもしれません。ただひとたび成功すれば一気に年収は増えることが予想され、注目が集まります。

喜多一 株式会社アークテック

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健康診断のデータなどを収集するシステムを開発するなど、健康に密接した関係を持つ商品を多く開発する株式会社アークテック。そこで代表取締役社長を務めるのが喜多一さんです。1959年生まれの喜多一さん、京都産業大学国語学部を卒業すると、国際会議のエージェントとして、イベントの運営などを行ってきました。また広告プロダクションやベンチャー企業で取締役を務めるなどスタートアップなどにも関与。これまで培ってきたキャリアを最大限に生かせる仕事、そして経営基盤の安定のため、創業者からバトンタッチを受け、2009年に株式会社アークテックの社長に就任します。


アークテックは最初から健診データの収集などに取り組んできましたが、取り扱っているものが個人情報の中でも繊細なモノであるため、なかなか新しいシステムに変えてくれるような形にはなりません。そこでアークテックではシステム開発を行い、様々な健診センターに対してデータ収集のシステムを提供するなど、業界シェアトップにまで上り詰めました。売り上げの3分の2が検診サービスによるもの、売り上げは喜多一さんが社長になってから変わらないものの、従業員は半分になっており、その分、利益につながっている状況です。この要因について、プロジェクトと品質、2つの管理スキルがあり、これを様々な方向から強化してきたことを挙げています。


アークテックでは2014年まではなかなか人材を新しく雇用することができませんでしたが、最近になって新卒採用に踏み切り、複数の新卒者を採用しています。育て方が一貫し、決して無理強いするような形にはなっていないこともあり、今のところ新卒で入って辞めた人はほとんどいないのだとか。アークテックに来て10年、経営をうまく立て直し次の時代に向けた一歩を歩んでいる状況ですが、次の10年を担える人材育成が必要であると感じているようです。


喜多一さんの年収ですが、資本金などを考えると1000万円程度はもらっている可能性があります。新卒採用をここ数年で復活させるなど余力ができ始めたことは間違いありません。健康志向が強まり、健診データをより有効活用すべき時代を迎えている状況です。アークテックが多くのユーザーを納得させるような商品、システムを開発することができるのかどうか、今後はこのあたりが問われ、この10年の集大成が問われることになりそうです。

西川徹 株式会社Preferred Networks

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人工知能開発を手掛け、ベンチャー企業の中でも企業価値の高さが注目を集める株式会社Preferred Networks。その会社で社長を務めるのが西川徹さんです。1982年11月9日生まれ、今年で38歳となる西川徹さんは東京都の出身です。小学生の時から受験に取り組んでいた西川徹さん、理数系は得意だったものの、文系は苦手、それによるモチベーションの低下が見られた中、西川徹さんの父親は当時高価だったパソコンをエサに、筑波大駒場に合格すればプレゼントすると提案、結果は合格、実際にパソコンを買ってもらいました。


そのパソコンをまるでおもちゃのように使いだした西川徹さん、中学生の頃にはノートパソコンを買ってもらい、プログラミングをなんと授業中にやりだします。にもかかわらず、筑波大駒場では先生がそれに指導もしなかったため、どんどん上達。大学は日本の最高学府の東京大学。中学の頃から東大理学部情報科学科に入ることを願い、実現させてみせます。起業を決意したのは大学4年、プログラミングの世界大会に進出し、チーム力さえあれば大企業に匹敵する会社になると考えたからです。


2006年に起業した西川徹さん、東大生と京大生を集めたスタートでしたが、営業を務めるのは人見知りでありながら社長になった本人。最初は苦戦しますが、段々と結果を残し売上を伸ばしていきます。西川徹さんのポリシーとして、外部資本は入れないことを決めています。これは多くの投資家が資本に入れば意見がたくさん出て、その意見に翻弄されて会社が崩れていく光景を実際に見たからです。技術を理解しない人と一緒になったところで、いつかは仲たがいを起こす、そう思っています。現在は機械学習に力を入れており、日本を代表する人工知能機械学習の会社として発展するかに注目が集まります。


西川徹さんの年収ですが、年収そのものは高いことが予想され、1000万円を超えている可能性は高いです。外部資本は入れないと語っていた西川徹さん、実際には博報堂ファナックなど有名企業からの資金調達を行っているなど、株式上場の可能性も考えられます。人工知能機械学習など、その分野では世界に後れをとっているのが実情です。それでも、日本のトップランナーとして少しでも上を目指して世界に追いつき、いずれは追い越していくためにも、このあたりが踏ん張りどころなのは確かです。

富田直美 株式会社hapi-robo st

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ロボットがすべての業務を行うホテルが長崎ハウステンボスにオープンし、話題を集めました。このロボットを手がけたのが株式会社hapi-robo stの社長でもある富田直美さんです。1948年生まれ、今年で72歳を迎える富田直美さんは静岡県の出身です。国際商科大学を卒業した富田直美さんは、田村電機製作所、現在のサクサホールディングスに就職します。海外調査部では、国際ビジネスに関する仕事を行っていました。当時からロボットに強い興味を持ち、ラジコンをやるようになります。


富田直美さんは、これまでに10社以上の会社で働いており、経営者として複数の会社を引っ張ってきました。そのほとんどがITの会社。自らはエンジニアではなかったものの、知識が詳しく、少しでも学びたいという気持ちを持って仕事に臨んでいました。そんな富田直美さんですが、65歳、年金がもらえる年齢になると、もう経営から足を洗おうと考えます。そこにハウステンボスから声がかかり、結果的にロボットが管理するホテルのプロデュースを任されます。アイデア自体はハウステンボスの社長を務めていた澤田秀雄氏のものでしたが、富田直美さんがプロジェクトに積極的に関与し、すべてをロボットが管理するホテルを作り上げて生きます。最大の特徴は不完全なままサービスを始めたことで、色々な改善点を出してもらいながら完全なものを目指していくというやり方です。スマホゲームなどで見られたやり口をこのプロジェクトで用いました。


そんな中、人を幸せにするロボットを作りたいと考えるようになり、株式会社hapi-robo stを2016年に設立します。この会社では自分たちがロボットを作るのではなく、ロボットのプロデュースをします。ハウステンボスで実証実験を行い、より優れたロボットを生み出していくのが狙いです。会長が澤田氏、社長が富田直美さん、これほど強力な組み合わせがない中、令和の時代に通用するようなロボットを世に送り出しています。


富田直美さんの年収ですが、資本金が2億円以上あることから、年収も1000万円を大きく超えている可能性があります。ただお金儲けではじめたわけではないため、過度にもらっていない可能性も考えられます。70歳を超えても夢を追いかけられる、お金には換えがたく、とても夢のある仕事を、富田直美さんは行っており、うらやましい限りです。

坂内綾花 フォーチュンファクトリー株式会社

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中に何が入っているかわからない、中を開けてみると、食べ物や雑貨が入っており、新たな出会いがあるかもしれない、謎が謎を生む箱フォーチュンボックス。学べる通販をコンセプトに掲げて商品展開を行うフォーチュンファクトリー株式会社。この会社で社長を務めるのが坂内綾花さんです。1998年生まれ、今年で22歳の坂内綾花さんは新潟県新潟市の出身です。中学を卒業後、高校ではなく専門学校への進学を選び、東京に引っ越した坂内綾花さん。しかし、専門学校では自分のやりたかったことはできないと考えて退学、アルバイトで生計を立てます。


17歳のとき、起業の環境が整ってきたから早めにチャレンジをするべきだと考え、起業を検討し始めます。その時に出会ったのがフォーチュンボックスです。通販で注文し、自宅に届くまでその中身はわからない、現在の通販の概念を大きく覆すフォーチュンボックス。実際の中身は高級雑貨などで、わけのわからないものが入っているわけではありません。品質の高さはもちろんのこと、新たな出会いを作り出せるというのがフォーチュンボックスのいいところであり、面白さでもあります。現在までに4000個以上販売されるなど、フォーチュンボックスのファンは一定数存在します。


人付き合いはほとんどなく、友人も少ないと語る坂内綾花さん、そんな状況でクラウドファンディングに挑みます。友人などの支援がない中、価値を見出す、安定を感じてもらう、これを心がけた結果、多くの人に支援され、成功を収めました。失敗を避けるため、準備は最大限行う、いかにも現代の若者らしい起業の仕方であり、失敗から学ぶよりも成功からの学びの方が大きいと考えています。準備不足でチャレンジすれば失敗はする、でもそこから学ぶことは少ない、起業をしたいサラリーマンが多い中、シンプルで理にかなった考えをしている人は少ないかもしれません。他人の失敗から学習する、非常に効率的であり、自らを過信しないのも立派です。


坂内綾花さんの年収ですが、現状は事業も小さいことから、年収などもまだまだこれからといったところでしょう。ただし、これからサラリーマンになる同世代の人と比べると多い可能性も考えられます。上場のメリットなどがわかっていない、資金がそんなに必要ないなど、後先のことを慎重に考えている坂内綾花さん。年齢が上の人からするともどかしさがあるかもしれませんが、これくらい慎重な起業でも、うまくいく人はうまくいくはずです。