孫 正義 ソフトバンクソフトバンクグループ代表取締役会長兼社長

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総資産は200億ドル、およそ2兆円をはるかに上回るなど、世界が誇る大富豪の仲間入りを果たしたのが、ソフトバンク創始者であり、現在はソフトバンクグループで代表取締役兼社長を務める孫正義さんです。現在はアメリカの携帯電話事業者「スプリング」、中国で勢いがすごい「アリババ」などの会長や取締役を兼務するなど、その活躍はワールドワイドです。


1957年8月11日生まれ、令和元年で62歳を迎える孫正義さんですが、その生い立ち、経歴は最初から輝かしいものだったとは言えません。佐賀県鳥栖市で生まれた孫正義さんは、在日韓国人で、密造酒の製造販売やパチンコ業などを行っていた実業家の次男として生まれます。その浮き沈みは激しく、生活が非常に貧しい時期もあれば、大変な裕福な時期もあったと言います。

高校に入ると、司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」に出会い、16歳でアメリカに留学します。この当時、孫さんの父親は入院中、稼ぎ頭である父親が入院で不安に襲われている中、留学を決意したことで、親戚だけでなく高校の担任などからも反発を受けました。しかし、坂本龍馬が脱藩を決意したように、大きく成長し、成し遂げてみせると反対を押し切ってアメリカに渡ります。

 

アメリカでは肺炎になりながらも絶対に授業は休まなかった程、最大限勉強を行い、アメリカならではの飛び級制度を活用し、すぐに大学に入ります。19歳の時、雑誌を読んでいた時に飛び込んできたマイクロプロセッサに目を奪われ、その後、孫さんは1日5分で1つの発明を実行、わずか1年で250の発明を達成しました。これを発展させるため、お金が全くない中、特許が売れ、その金額から給与を支払うという形で教授などを雇うという画期的なシステムで、プロジェクトチームを立ち上げます。
22歳にはシャープに商品を売り込み、1億円を手にすると、それを元手にソフトウェア会社を設立。時を同じくして結婚し、大学を卒業、日本に帰国を果たします。ソフトバンクの前身「日本ソフトバンク」を福岡で設立すると、パソコン関連の事業に手を出します。

 

一時期慢性肝炎を患ったことで一時的に会長に退くも、復帰を果たし、1987年には回線選択装置管理システムの特許を取得。回線選択装置管理システムとは、常に一番安い通信事業者を自動的に選んでくれるシステムで、通信自由化で新規参入した電気通信事業者、新電電からロイヤリティを徴収するビジネスモデルが成功を収め、日本ソフトバンクは急成長を遂げます。

1994年に株式を店頭公開すると、そのお金で企業買収や別企業への投資を展開、1996年にはアメリカのヤフー社と共同出資でヤフー株式会社を設立するなど、破竹の勢いを見せる一方、その年の6月、メディア王と呼ばれたルパート・マードックと共同でテレビ朝日の株式21.4%を保有したものの、反発を受けて翌年に売却。失敗と成功が交互に訪れるなど、激動の時期を迎えていました。

その後、買収と分社化を行いながら段々とグループを成長させていき、2000年にはトヨタ自動車に次ぐ第2位の株式時価総額を記録。2001年にはYahoo!BBのサービスを開始し、ブロードバンド事業へ殴りこみをかけると、ここで大胆な作戦を展開します。モデムの無料配布です。駅前でモデムを無料配布し、Yahoo!BBのお試しキャンペーンに参加できるようにさせました。このやり方は物議を醸し、詳細な説明がないまま、契約をするような形となるなど、かなりのトラブルも出ましたが、結果的にユーザー数は激増、インターネットの高速化の快適さを多くの人が知るようになり、2005年には単年度黒字化を達成します。
孫さんの一番大きな仕事がボーダフォンの買収とその後の展開です。買収金額は1兆7500億円とかなりの巨額でした。当時のボーダフォンは圏外が多かったことでドコモやauの牙城を崩せずにいましたが、Yahoo!BBの時と同様、半ば強引に基地局を立てるなどしてネットワークを増強、日本でいち早くiPhoneを導入するなど施策を矢継ぎ早に打ち出し、Twitterを利用し孫さん自らが意見を吸い上げるなど迅速な対応が目に付きました。
結果的に、ソフトバンクは信頼を獲得し、奇抜な施策やこれまでの携帯電話事業の寡占状態を打破するような動きを見せ、安く快適に利用できる環境を作り上げます。時にトラブルを起こすことはありますが、それもいかに安く便利に利用してもらうかの一環であり、携帯電話やインターネット利用料金が安くなるきっかけを作った人物であることは間違いないでしょう。

 

 

最後に、孫さんが19歳の時に掲げた夢をご紹介します。アメリカにいた孫さんは人生50年計画を立てました。20代で有名になり、30代で軍資金として1000億円、40代で一勝負、50代で事業完成、60代で事業を後継者に引き継ぐという夢です。60代となった孫さんですが、50代まではその夢をすべて果たしています。70歳を迎える2027年までにソフトバンクグループの後継者を見つけ、引き継ぐことは果たして可能なのか、そのあたりにも注目です。