古森重隆 富士フイルム株式会社 代表取締役会長

f:id:syacyou:20190926045524j:plain

 

 

写ルンですなど写真フィルムでおなじみでありながら、近年化粧品や医薬品といったこれまでやってきた事業以外に力を入れ始める富士フイルム株式会社。その富士フイルム株式会社で代表取締役会長を務めているのが古森重隆さんです。1939年9月5日生まれ、80歳の古森重隆さんは、旧満州の出身です。帰国後は長崎県に住み始め、地元の名門校を卒業し、東京大学経済学部に入った古森さん。1963年に東京大学を卒業すると当時の富士写真フイルムに入社します。営業を中心に渡り歩き、1995年には取締役に就任し、営業第二本部長を務め、翌年にフジフイルムヨーロッパの社長を歴任してから、2000年社長になります。2006年グループを再編し、富士フイルムホールディングス株式会社、富士フイルム株式会社の代表取締役社長に就任。2012年にはそれぞれの会社で代表取締役社長を務めました。


しかし、古森さんが社長になった当時、富士フイルム株式会社は苦境に立たされていました。それまで大半の利益を写真フイルムで稼いだものの、デジタルカメラの普及に伴い、その市場は一気に縮小され、写真フイルムだけではどうにもならない時代へ突入しようとしていた時代です。利益の大部分がもうない、このままでは会社が潰れる、そこで古森さんは非情な決断を行います。全世界に7万人いた従業員の整理を行ったのです。2004年には写真フイルム事業から撤退、日本だけで5000人の従業員を整理することになります。古森さんは直接社員たちに会って説明を行い、十分な退職金を与えました。非情な決断の中でも最大限の温情をかけたのです。そして、フイルム技術を応用した化粧品や医療機器の開発に成功させ、富士フイルム株式会社の構造改革に成功しました。
その後もリーマンショックを中心とする金融危機が訪れた際には優秀な人材を海外に向かわせて世界で稼げるような体質にしていきます。結果的にコダックに次いで2位という位置を常に守り続けることになった富士フイルム株式会社は、そのコダックが破産申請を行うなど、独り勝ち状態となっていきます。


古森さんの年収ですが、2009年度には3億6100万円など、毎年のように3億円から4億円の役員報酬を受け取っていることが明らかになっています。しかし、ここ数年は多くもらっているわけではなく、1億円ももらっていないことが明らかです。それでも数千万円単位の報酬が予想され、株は時価総額1億円程度を保有するなど、かなりの財産を持っていることが考えられます。